「どこどこに行ってきました。みなさんで食べてください。」
系のお土産がオフィスの机に置いてある。
この手のお菓子は、僕のなかで「許されるもの」と「許されないもの」に二分化できる。
許されないものの代名詞はやはりバタークッキーだろう。
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※関連記事は最後にまとめて紹介します「お土産 いらない」
「バタークッキー いらない」
「お土産 バタークッキー」
などのワードで検索される方におすすめです。
ご当地バタークッキーのガッカリ感
クッキー自体味気なくてそんな好きじゃない。
それをなんか、「ご当地クッキー」というテイにして、パッケージだけご当地感だしてお土産として成立させている。
フレーバーで差別化してる場合はまだいいだろう。
京都だから抹茶フレーバー。
愛媛だからみかんフレーバー。
青森だからりんごフレーバー。
みたいな。
しかし、そこにプレミア感は無い。
子供の頃は、「ご当地限定なんだから、それはさぞおいしいものだろう。」
とワクワクしながら食べていた。
そして実際に、「まぁ、たぶんこれはおいしいんだろうな。」
と、自ら洗脳されに行っていた節がある。
しかし、自分の考えを持つようになった今ならハッキリと分かる。
「お土産は基本おいしくない。」
「バタークッキー」系はおそらくひとつの工場で大量に作り、パッケージだけご当地別にして、各県に配送していると思われる。
■地名が書いてあるだけでどこでも売っているクッキー
・「製造しているところが同じ場合が多い」(47歳男性/建設・土木/技術職)
・「一番安かったんだろうなと感じるから」(24歳女性/マスコミ・広告/事務系専門職)
・「わかりやすいといえばそうだが、ちょっとがっかりしてしまう」(28歳女性/自動車関連)
上記は確実なソースでは無いので「同じ工場で製造されている」というのは私の推測の域を出ないが、工場が違えど、成分や工程はおそらくほぼ一緒であると思われる。
消費できないタイプのお土産
「ワンルームが最高過ぎて他の間取りで生活できない」
でも書いたが、私の部屋は決して広くは無いので、部屋に置いているあらゆるものは全て”一軍”である。
部屋が狭いのを良いことに無駄なものは一切おかず、いかに洗練された部屋を作り上げるかを日々熟考している。
そんな時に、「減らないタイプのお土産」をもらうことがとても苦痛である。
中には「ウケ狙い」で、プレゼントを渡す時のエンターテイメント要素の為だけに全く不要なお土産を買ってくる人もいる。それがシュールでめちゃくちゃ面白い場合は納得できる。ユニークさは大事だと思う。しかしそういうのはたいていベタで、無理やり笑わないといけない空気になってしまう。
お土産に限らずサプライズプレゼントなどもそうだが、明らかに不要なものをもらった場合の対処が全く分からない。
生まれつきサプライズが大好きな人がいる。
とても思いやりがあり、とても良い人だ。
しかしそういう人たちの中には、「プレゼントすることに意味がある。」
という思想の持ち主も多く、その場合は結構「送る側のエゴ」となってしまってる場合が多い。
僕はもちろん、プレゼントをもらうと嬉しい。
しかし同時に、「自分が作り上げた洗練された部屋に異物が紛れ込むストレス」も感じる。
僕の部屋には押し入れというものが無い。
これがまだ実家なら、頂いたお土産やプレゼントをガレージの奥の物置に保管しておくこともできる。
今「保管」という言葉を使ったが、実際には使うことも無いだろうから、「現実逃避」という言葉の方が正しいかもしれない。
ここで念を押しておきたいのは、僕はモノを良く捨てるタイプだ。
しかし同時に、かなりモノを大事にするタイプでもある。
モノを良く捨てるにも拘わらず、捨てる時にはそれなりに精神的ダメージを被る。
だから極力、無駄なものは最初から手にしないようにしている。
人からもらった「いらないもの」が一番捨てる時のダメージが大きい。
頂いたものを、捨てたり、売却したり譲渡する際、その人の顔が浮かぶ。
「自分は今最低なことをしているのではなかろうか?」と思ってしまう。
客観的に観たらそうかもしれない。
しかし、ここで優先すべきは「自分の精神的ダメージ」だ。
「そこまで精神的に苦しいなら、無理して捨てなくてもいいんじゃない?」
と言われてしまいそうだが、むしろそれは真逆だ。
例えば、「使わないけど、せっかく頂いたものだし押し入れに保管しとこう。」
という考えで保管したとする。
すると、おそらく数ヶ月に一度ペースで定期的にそれを目にすることになる。
僕は「モノには命が宿っている」と信じている。
その”命”に本来の役目を果たさせることなく押し入れにしまい続けることは、とても悪いことをしてる気がする。
普段は忘れ切ってるからいいが、押し入れをつい見てしまう度にそれを思い出す。
だから、「捨てない」という選択肢をした場合、何年も何年も継続して苦しむことになる。
以前「サイコパスに憧れている」という記事を書いたが、サイコパス性が高い人は「苦しいことは早々と終わらせる」という資質に優れているらしい。
例えば仕事の電話。
明らかにこちらの不備でクライアントに謝罪の電話をしないといけないという場合、実は「電話で謝罪している時」より「電話をするまでの時間」の方が本人の精神的ダメージは大きい。
実際に僕も心当たりがあるが、中々電話をかける勇気が出ず、何度もやり取りを頭の中でイメージしたり、「15時になったらかけよう」、「トイレから戻ったらかけよう」「20分になったらかけよう」と自分の中で時間稼ぎをしていた。
しかし、この悩んでる時間の方が精神的にダメージが大きく、悩めば悩むほど疲弊してしまうのだ。
サイコパス性の高い人はそれを既に知っていることが多く、そして自己愛が強いため、自分を守るためにも「さっさと電話を済ませる」という選択肢を取る。
上記は例えだが、いらないプレゼントの話の場合、
「そこまで精神的に苦しいなら、無理して捨てなくてもいいんじゃない?」
という提案に乗っかった選択肢を取った場合、その後の何十年間でチビチビと無駄に精神的ダメージを感じ続けることになる。
だからこそスパッと決断する必要があるのだ。
そもそも「お土産」がマズイのには理由あってのことではないか
お土産について文句を垂れ流してしまったが、改めて考えるとそもそも僕は旅行に行かない。
遠出するとしてもそれは「キャンプ」であり、お土産を手配するイベントでは無い。
というわけで旅行に行った場合を想像して考えてみる。
僕は「惰性で食べられるくらいのお土産なら買わない方がマシ」という考えがある。
しかし社会性を求められる職場等において、「旅行=お土産」という文化が世界的に根付いてる。
そう考えると、とにかくなんでもいいからお土産を買わなければいけない。
・オフィスでみんながチンタラ食べれる(ある程度賞味期限が長い)
・どこに行ってきたか明白
・もちろん「オフィスのみんなに向けて」という社会性を意識しただけの不本意なお土産なので安い方がいい
・あまりに癖が強いと嫌いな人も多いだろうし、無難なものがいい
・ぶっちゃけ荷物にしたくないから軽いものがいい
・お茶やコーヒーに合う
なんと、バタークッキーは上記全ての条件を満たした奇跡のお菓子だ。
なるほど理解した。
バタークッキーは決して「もらう側」の意志を尊重したお菓子では無い。
旅行者の都合でガチガチに固められたお菓子だ。
まとめ:「当たり障りない」ものは最高に丁度良い
当エントリーを書き上げるにあたり、あえてとても穿った(うがった)見方をしてみた。
正直、「わざわざ他人が買ってくれたお土産」に対してそこまで不満は無い。
ただ、
「バタークッキーが好きで好きでたまらない!」
という人を見たことが無い割に、お土産の中でバタークッキーシェアが多過ぎると感じたので問題提起したまでである。
そして記事を書きながら、自分自身「もらう側として慢心し過ぎた」と感じた。
旅行に行かな過ぎて、「お土産を買う側の気持ち」に気付けなかったのだ。
個人にプレゼントするタイプのお土産ならまだしも、オフィスでみんなで分けてくださいね系のお土産なら、
・安い
・間違いなくみんなが食べれる
・コーヒーに合う
という条件を満たす必要があり、かつ、旅行中にわざわざ時間を割いて考えたくない。
「お土産を買う」というのはもはや「タスク」扱いなのだ。
よって、「無難なお菓子」である「バタークッキー」に行きつくのだと感じた。
悔しい。
こんなこと、何十年も前からバタークッキー会社が想定してたことに違いない。
「こういう事情があるからバタークッキーの需要は永遠に無くならない」
と、社会経験のある大人なら当然知っていたこと、つまり常識だったかもしれない。
それについて、ここまでまとめてやっとたどり着けた自分が悔しい・・・。
しかし、この世で一番おいしいお菓子はカントリーマァム(バニラ)であることに間違いはない為、どうにかしてバタークッキーが独占しているお土産市場を、不二家に打破してもらいたいものである。
※カントリーマァムが一番おいしいというソースがあるわけではありません。ただの主観です。
記事中に登場したリンク:
はじめまして。拝読させて頂きました。
お土産の賛否以前に、日本の市販のバタークッキーの多くはコスト削減のために、バターではなくてショートニング(欧米では規制させている)を使っているのが問題だと思いますね。
私は自分でクッキーを焼くのですが、市販品はバターは香料だけか、ほんの数%しか使っていないことが多いです。クッキーを配るなら手作りクッキーがお勧めだと思いますね。でもクッキーの約半分は砂糖なので、あまり健康に良いものではないかと思います。
私もお土産はあまり好きではないですが、明確に「お土産禁止」という会社もあります。年賀状とかと同じく、会社のは基本的に社交辞令だと思いますよ。経済には貢献していると思います。
みく 様
コメントありがとうございます!
日本のバタークッキーは、ショートニングを使っているからクオリティーが低いんでしょうか・・・。
(欧米では規制されているのも気になりますが・・・)
「社交辞令」とは正にその通りだと思っていて「送り手、受取手の双方が共に”社交辞令”だと認識している場合、そのくだりはいらない」みたいな流れにならないもんですかね。
結局僕も「問題提起するだけして何も解決できずにウダウダ言ってる」という状態なのでこれ以上掘り下げませんが、ともかく、手作りクッキーはめちゃくちゃおいしいです。
美味しいお土産をもらったことのない可愛そうな人生・・・。
心中お察しします、、、涙
僕 様
コメントありがとうございます。
おいしいお土産、たまに頂くとすごく嬉しくなりますよね。
今まで僕様がもらった中で一番嬉しかったお土産など、教えて頂ければ凄く嬉しいです。
僕は「お土産みたいなクソみたいな文化、無くなってしまえ。」と思っているわけではありません。
連休が続いた → どこどこへ行った → お土産を”買わないといけない”
という流れで登場する「バタークッキー(例)」のような文化に疑問を感じたんです。
そういう惰性で発生するようなお土産が量産されるくらいなら、”買わないといけない”というところに考え直せる隙が無いかと考察してみました。
当記事を書いてだいぶ立ちますが、改めて読み返して、当時の僕が「惰性で買ってるであろうお土産なら不要かな」と思っているのだと再確認しました。
そしてその哲学は今もあまり変わっていません。
改めて、コメントくださったことに感謝します。