こんにちは。ぱっかんです。
僕は意外と暗記が得意です。
でも「人の誕生日」だけはどうしても覚えられません。
両親の誕生日だけギリで覚えてる感じですが、それも「月」まで。
具体的に〇日生まれというところが全く覚えらえません。
「誕生日 覚えられない」
「誕生日 めでたくない」
「誕生日 不要」
などのワードで検索される方におすすめです。
誕生日が覚えられないことについて
「誕生日を覚えてない」と言うと、その人との関係性によっては「酷い・・・」と別れ話を切り出される可能性があります。
でもこれは決して「あなたに興味が無い」という意味で覚えてないのではなく、「数字に弱い」から覚えてないのです。
分かってください。
あとまぁぶっちゃけ「覚えようとしてない」というのも微量ながらありますが。
というわけで、自分なりの「誕生日が覚えられない理由」をまとめます。
誕生日が覚えられない理由①繋がりが無い数字が無理
僕は割と「エピソード記憶」に強いです。
というか誰だって「印象的なこと」は中々忘れないと思いますが、僕の場合は例えば「人志松本のすべらない話」に登場したエピソードなんかは結構しっかりと人に話し込めるくらい覚えてます。
でも誕生日は、残念なことに「何かと関連付けること」が出来ません。
例えばその人が「1月1日生まれ」なら「その人 = 正月」という風に関連付けられますが、それが出来るのも限定的な誕生日の人だけ。
クリスマスと正月以外の祝祭日とかを一切覚えていない僕は、エピソード記憶のように誕生日をドラマチックに覚えることが出来ません。
誕生日が覚えられない理由②語呂合わせが使えない
「1192」という数列と「鎌倉幕府」という文言には何の関係性も無く、それを関連付ける為に先人たちは無理やり「いい国作ろう鎌倉幕府」みたいな語呂合わせを作りました。
今でこそ僕たちは「いい国作ろう鎌倉幕府」の言葉のリズムを使って思い出すことが出来ますが、それ以前に「1192」を「イイクニ」と呼ぶことで、「鎌倉幕府」へと意味的に繋がることにも成功しています。
でも人の誕生日はムズイです。
例えば僕は「3月16日生まれ」なので「債務(サイム)」として覚えることができます。
そしてある人は「7月24日生まれ」で、「なによ」と語呂合わせすることで覚えられました。
そしてその人も非常に「なによ」と言いそうなキャラだったので、力強い関連性が生まれ、むしろ「7月24日 = なによの日」として頭に焼き付いています。
でも大多数の人がこの「語呂合わせ」に当てはまらないはずです。
もし当てはまったとしても、その語呂合わせと自分のキャラが上手くフィットしないとドラマが生まれません。
例えば僕の「債務」も、僕が借金まみれにならない限り繋がりが生まれません。
これも誕生日の覚えにくさに拍車をかけています。
誕生日が覚えられない理由③そもそも覚えようとしていない。
そもそも僕は人の誕生日を覚えようとしてません。
陽キャの方々はことあるごとに宅飲みしたがるので、そのこじつけとして誕生日を大事にするのでしょうが、内向的な僕には無関係な話なので、それもあって誕生日に関心が無いのかもしれません。
そもそも僕はイベントごとがあまり好きでは無いので、できれば自分の誕生日は誰にも知られずに生きていきたいのですが、それでも当日になると何故か祝ってもらうという超常現象を密かに期待しています。
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※関連記事は最後にまとめて紹介します誕生日が覚えられない理由④誕生日をありがたがってない
自分の誕生日ってそんなにありがたいものなのか。
まだ未成年で自分の考えを持っていなかった頃は「誕生日は素晴らしい!」と思い込んでいましたが、自分を持った今なら「誕生日は素晴らしくない」と分かります。
いや、言い換えます。
「誕生日じゃなくても素晴らしい」。
誕生日だろうと無かろうと、僕は毎日幸せに生き素晴らしいものを受け取っているので、そのせいか誕生日を特別視できません。
よって「誕生日も決して特別なものでは無い」という認識があります。
誕生日が覚えられない理由⑤「誕生日いつ」って聞きづらい
色々言って自分を正当化してますが、結局僕も「誕生日を覚えられないのは人間性が欠落してるから」と分かってます。
だから人に「誕生日いつだっけ?」と(二回目以降は)気軽に聞きづらいんです。
そして聞けずじまいのまま関係が続いてしまうので、「アタシ今日誕生日なんだけど・・・」と唐突に言われてしまいます。
だからその時はすかさず
「タン・・・ジョウビ・・・??タンジョウビって人間が生まれた日を記録してるやつでしたっけ?」
という風に、実は僕はロボットかもしれない系の雰囲気に話を持っていきます。
誕生日が覚えられない理由⑥「決して間違えられない」というプレッシャーがある
ここまで性格が歪んでいるにも関わらずクソザコメンタルな僕は、上記の理由から「人の誕生日を間違えてはいけない」というプレッシャーを日々感じて生きています。
そしてそのプレッシャーが余計に誕生日というものを嫌いにしている気がします。
逆に、こんな人の誕生日はスラスラ覚えられる
・自分の誕生日と同じかニアピン賞の人
・その人のキャラにフィットした語呂合わせの誕生日を持っている
・クリスマス・正月生まれ
・うるう年生まれ
それ以外の人は、
残念ながら、
誕生日は、
無いものと思ってください。
考察:本当に誕生日は特別じゃないのか?
もし仮に、その辺の1991年3月16日生まれの人類を集合させて、わきあいあいとコーヒーでも飲みながら話したら、なんか凄く不思議な感情が湧きそうです。
「我々は同じ日に産声を上げたんだねぇ」というところにスピリチュアル的な何かを感じ、夜が明けるまで皆でドラゴンナイトを熱唱できそうな気がします。
そう考えると、色々言いながらも僕はやはり「誕生日をちゃんと特別視してる」のかもしれません。
じゃあ何故誕生日が覚えられないのでしょうか。
結論:今日も誰かが生まれている
「今日も誰かが生まれている」
だから誕生日は覚えられない。
よし。今日からこの言い訳を使います。
というわけで、解散。
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初めまして。
全く同じ様に、友達の誕生日が覚えられません。
ハロウィンやクリスマスなどのイベントと重なっている人は覚えられるというところも同じですごく救われました。
かつて、恋人の誕生日を覚えようと携帯のパスコードにせっていしていました。しかし、絶対に間違えてはいけないというプレッシャーから、本当にこれで合ってる?違ったかもしれない…と思い、結局指が無意識的に数字を打つ様になっただけで終わりました。
恋人に限らず、友人に対してもずっと、相手のことをあまり大切に思ってはないのでは?と悩んでいましたが、この記事に出会うことができて救われました。
ありがとうございます。
マリア様
コメントありがとうございます!
「誕生日は覚えて当然」というのは一般論で、世の一般論全てに当てはまる人は絶対に存在しませんよ!
誰かしら得意不得意あるはずなので、何も気にしなくていいと思います!(すみません僕もアドバイス出来るような人間では無いですが、マリアさんが凄く悩んでいるようにお見受けしましたので、助言っぽい感じになってしまいました)