「ぱっかんブログ」と「ぱっかん」について

「ぱっかんブログ」について

福岡に住んでる“散歩ブロガー”ぱっかんが、感じたことをまとめた雑記ブログです。

・映画が好きなので映画記事が多めです。

・好きな事がニッチ過ぎてそれを語り合える人がリアルでいないため、このブログで発散してます。

・内向的で着想力に長けているという資質を活かし、それをブログの中で爆発させてます。

「ぱっかん」って何者?

福岡県福岡市在住。普段はweb系会社員として働いており、その傍らでメディア運営をやっています。

「福岡散歩サークル」の管理人。(「つなげーと」というアプリ内で運営しています)

メインで運営してるメディアは以下の通り。

ぱっかんブログ

福岡散歩ブログ

やるゲーブログ

・福岡でTOP3に入るくらい良く笑います。

・一般人は一日に平均3リットルくらい笑いますが、僕は6リットルは笑ってます。

Trash Area(Youtubeにリンク)という名前で音楽活動をしていたし今もしていますが、だいぶローペースです。

・webに関しては、SEO、ネットショップ運営、webサイト制作といくつかやってきましたが、自分で運営してるブログが一番結果にコミットしてます。

・犬が好き

・好きな言葉は「やる気出していきましょう」

・嫌いな言葉は「ここにテキストが入ります。」

僕の優れた資質

「自分の才能に目覚めよう」という本の中の「ストレングスファインダー」というテストを行えば、自分の優れた資質が分かります。

僕の優れた資質は以下の通り。

1. 着想
2. 最上志向
3. 内省
4. 共感性
5. 運命思考

特に「着想力」の高さは自分でも良く分かります。
物事の繋がり、閃きに対してエネルギーを感じます。

生まれてから今までのこと(略歴)

1991年3月(0歳)

・陸上自衛隊の父が、北海道の駐屯地に配属された一瞬の隙を付いて生まれる。
よって、親戚間はほぼ全員九州出身だというのに、自分だけが北海道生まれ。
これにより「自分だけが特別な存在で、他はただの数合わせに過ぎない」という間違った思想を持つ。

・3歳くらいで福岡県みやま市(当時三池郡)に戻り、後はそこで普通に育つ。

~1997年くらいまで(~6歳)

・小児喘息を患っていた僕は、寝ながら溺れる夢を良く見ていた。
その都度名前の分からない大きい吸入器で薬剤を吸入し、気管支を拡げ呼吸を楽にしていた。
(ちなみに母親の意向で、映画とかで良く登場する「シュコー」というポケットサイズの器具は使わなかった)

・3月生まれで泣き虫だった僕は、勘違いかもしれないが、4月生まれの兄さん方に守られながら生きる

・家では、実の兄に常に暴力を振るわれながら育つ。今はもうそこまで憎くないが、当時の殺意は凄まじかった。

・したいことが特に無く、毎日がクッソつまらなかった。

・趣味と言えば、茶の間に敷いてある“ゴザ”を寄せてたわみを作り、それをジャンプ台に見立てチョロQをキレイにジャンプさせることくらい。(派手なアクションが決まれば高得点。)

・常にぼんやりと“しにたい”と考えていた

2000年頃(9歳)

・衝撃の事実発覚。今まで「犬は全てオス。猫は全てメス。犬と猫が夫婦になって、メスだったら猫、オスだったら犬が生まれる」と思っていたが、それぞれ別の種別だと知る。あまりの衝撃に、飼い犬の「ラッキー(柴犬)」に小一時間問い詰める。

2002年頃(11歳)

・3人兄弟の中で唯一自分の部屋を持たなかった僕は、12歳くらいまで両親の部屋で寝ていた。自分の部屋が無い事に当然不満をぶつけたが、「将来的に全員家を出ることになるから、その時に部屋が余って勿体ない」と意味不明な理由で言いくるめられる。結果、何度か親の性交渉を目撃。基本的に家の人間には腹が立っていたので、家族団らんのタイミングで「夜、裸でイチャイチャするの辞めてほしい」とぶつける。それが効いたのか、物置と化た車庫の2階を改築し、自室を作ってもらった。

2004年(13歳)

・中一くらい。皆が「PS2!PS2!」と言ってる中、中古ゲーム屋巡りが好きだった僕はドリームキャストにドハマリする。「Jet Set Radio」「クレイジータクシー」などの癖の強いセガゲーにドハマリ。しかもそれらのゲームはサントラが素晴らしく、特にJSRのサントラはめちゃくちゃ聴き続けた。

2005年(14歳)

・中2くらい。GEOでたまたま借りた「Zebrahead」の「MFZB」にドハマリする。今まで愛していたJSRのクラブミュージック系音楽は2番目に下がり、MDプレーヤーでパンクロックを聴きまくる。

・また同時期、BUMPを愛していた友達から「バンドやろうぜ」と誘いがある。結果的に活動はしなかったが、彼からギターを教えてもらったりした。全ての音楽活動の原点かもしれない。

・兄の影響で「Xbox(初代)」のゲームにハマる。特に「ファントムクラッシュ」にハマリまくり、ファンクラ経由で「teppan」というバンドに出会う。teppanと出会えたことで、今までの兄の暴力を全て許せた。

・今までで一番恐れていたことが起こる。小学一年の時にウチに来た居候「ラッキー」がフィラリアで死ぬ。彼の元気な姿は未だに夢に出てくる。

・直後、「エル(ダックスフンド)」という居候が来る。

2006年(15歳)

・中学校卒業。泣く程嬉しかった。卒業式が終わって、今すぐにでも校舎から離れたかった僕はそそくさとヘルメットを被り自転車に跨る。するとそこへ「もうヘルメット被らなくていいんだよ。卒業したんだから。」と、知らない同級生から声をかけられる。未だに誰だったかは不明。
そこで「確かに」と気付き、学校傍にある汚い川にヘルメットを投げ捨て、ニヤケながら帰る。人生で初めてのポイ捨てだった。

2007年(16歳)

・頭が悪くても入れる高校に入ったが、3ヶ月で自主退学。理由は、「ヤンキーの多さ」「教師の日常的な暴力」「担任が定年のラストイヤーで全然やる気が無かった」などいろいろあったが、一番は「保育科」に入学したということ。ピアノは少し楽しかったけど、それ以外はマジで全く興味無かった。

・とは言え自主退学のきっかけは「水疱瘡みずぼうそう」にかかったことだった。感染力の強い病気なので、2か月近く学校に行けなかった。これは仕方の無いことなので登校日数には影響を与えないが、ピアノの進行状況で大きく後れを取り、夏休みに補修を受けないと留年になると言われた。唯一好きだったピアノが嫌いになった。もう学校に行く理由は無い。(なんやかんやで、通信性の高校に入り高卒取得だけ入手)

2008年(17歳)

・フリーターに転身。年齢をごまかして居酒屋で働いた。自分の社会性の無さ、使えなさに驚いた。自分の出来なさをネットで調べてみた結果、どうも軽度のADHDっぽい事が発覚。とりあえず早めに無能であると気付けて良かった。

・同時期にバンドを組むことに。福岡県柳川市の「小川楽器」のイベントに出させてもらったり、YAMAHAが開催する「ティーンズミュージックフェスティバル(現ミュージックレボリューション)」に出演。ティーンズでは地域予選で準優勝となった。

・知り合いの紹介で土方系のアルバイトをさせてもらう事に。福岡県大牟田市にある「三井化学」という大きい化学工場の中で働く。

・現場は時期によって移り変わり、一時期「鳥栖ごみ処理場」で働く。

2010年(19歳)

・ゴミ処理場で働いてた際、「野田さん」という方がいつも「7つの習慣」という本を持っていた事に何故か関心を持ち、本について尋ねる。そしてそれが「自己啓発本」であると知り、近所の積文館書店で自分も買ってみた。

・そこで自分の人生が変わった。今までの自分は主体性が全くなく、流されるように生きていた。でもここから、自分の意志で物事を決められるようになる。景色がクリアになった気がした。また、野田さんはいかにもヤンキー上がりみたいな人なのに、こういう本を読んでるというギャップにもグッと来た。

・「7つの習慣」を読み終えて、自分の無能さが無くなった。ADHDっぽさも、自分で考えて行動・対策すれば生きていけると知った。

・ちなみに言えば「ザ・シークレット」という引き寄せをテーマにした本も野田さんから教えてもらった。もちろん読んだ。そして「自分が今やりたい事」を考えるようになり、「カフェで働きたい」と気付いた。

2011年(20歳)

・何も分からず流されるようにして辿り着いた土方業に別れを告げる。でもここで覚えた「土方系ガジェットの使い方」には未だに感謝してる。たまに上司・先輩のサポートでそういう手伝いをすると、彼らが全然ガジェットを使いこなせてないことに驚く。

・宅録音源を公開していた「魔法のiらんど」にて、何故か運営からインタビュー掲載のお願いが来る。もちろん受託。インタビュー記事を公式に載せてもらった結果、オリジナル曲「3day」が着うたダウンロードランキングで1位を獲得。それがちょうど3/16で、思いもよらぬ誕生日プレゼントとなった。

・「カフェで働く」という願いを達成する為、今まで見向きもしなかった近所の喫茶店とかに行きまくるが、どこも全然やる気が無い事にガッカリする。

・「カフェで働く」という事への興味が薄らぎつつあったが、ダメモトで応募した「スターバックスコーヒージャパン」が採用してくれた。ここで自分の殻を思いっきり破り、明るく振舞えるようになった。コーヒーが好きになった。

2013年(22歳)

・みやま市(実家)から「福岡市内」に引っ越す。ありがたい事にスタバには移籍システムがあり、お年を召されたお客様が大半だった「大牟田店」から、ドリンク販売数九州No.1の「MMT店(メディアモール天神)」に移籍させてもらった。

2014年(23歳)

・スタバを辞める。カフェバイトはどうしても低賃金だし、ちょっとした男女関係のもつれがあり、色々あって退職。お疲れさまでした。
辞めてしばらく経って思うのは、よくあんな「陽キャ大学生」が働いてる中に溶け込めたなという事。また、自分の性格の悪さを隠し通せたことにも我ながら感服する。

・「もう接客は良い」と思い辿り着いたのが「Web系」。完全未経験の僕を雇ってくれたのは「SEO会社」だった。今でこそ「SEO会社なんて時代遅れの施策にしがみ付いてるグレーの会社」という認識だが、当時、何も分からない僕を雇ってくれて、そしてwebについて勉強させてくれたのには凄く感謝してる。

2016年(25歳)

・SEO会社を辞め、ネットショップ系の会社に入る。そこでは「楽天市場」などのモール系の運営を担当。とても楽しかった。

2017年(26歳)

・「本格的な製作会社で働いてみたい」と思い退職。HTML/CSSの中程度の知識を持ったまま就職活動。また、この間にフリーランスとしてクラウドソーシング系の案件を受注してお小遣いを稼ぐ。

~現在

職場ではwebデザイン、コーディング等の仕事をしつつ、家ではメディア運営の二刀流。
時々音楽活動をしたり、「福岡散歩サークル」で散歩イベントを開いたりして、順風満帆に生きています。

子供の頃と違い喘息の発作も起きないし、自分の考えを持ち、常に自分で決定して生きているので、今が一番楽しい。

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