僕は以前「お土産というクソみたいな文化」という記事を書きました。
その中で「お土産の中にはいらないものが多い。というか実際9割いらないもの。なのに“もらいもの”という事実のせいで捨てるのも苦しい」と書きました。
それでも僕はお土産を買います。
そんなわけで、改めて「お土産」というものを見つめなおしてみました。
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※関連記事は最後にまとめて紹介します「ミニマリスト」は自分が欲しいものしか買わない
例の記事と同じことを言いますが、僕はミニマリスト思考で、家の中には自分が本当に良いと思った「一軍」しか置きたくありません。
それ以外の「対して興味を持てないもの」は極力処分しています。
「凄く似合う」と確信して買った服も、「今日はこの服を着る日か」とテンションが上がらないようであれば、僕はそれを持ちません。
「テンションが下がる」のではなく「上がらない」という程度でも不要と見なしています。
そしてこれらの考えは、僕が「物置が無い狭いワンルーム」に住んでおり、その狭い部屋で広々と生活する為に身に着けました。
そしてこの考えを持ちながら生きていくと苦痛を感じるのが「お土産」や「プレゼント」です。
「お土産」は9割自分で望んだものでは無い
お土産は、その旅先と所以のある何かしらで構成されており、それが必ずしも受け取り手の生活に必要かどうか分かりません。
結婚式の引き出物なんかもそうでは無いでしょうか。
「欲しくもなんとも無かったけど、せっかくもらったものだし使えないわけでは無いから一応使っとこう。」
というように、「贈り物」は当たり障りのない無難なものばかり。
その程度ならまだ良いのですが、「熊の木彫り」とか「ちょうちん」とか、いよいよ要りません。
残念ながらメルカリ行きです。
でもフリマアプリで出品するのもそこそこダルい為、「明日やろう」を伸ばしてるうちに1年以上物置に眠ったりします。
「自分が望まない物」をいただくと、このように精神的に微ダメージを被ります。
でもお土産で「新しい発見」があるのも事実
「新しい発見」は当然「自分が考えてもいないこと」から来ます。
そしてお土産は、「旅行に行った人」という、受け取り手の想像範囲から外れた箇所からアプローチされる為、受け取り手からすると「新しい発見」に繋がります。
例えば僕は、「モチモチのガワでアンコを包んだお菓子が無条件で好きだけど、(生)八つ橋だけは匂いが無理。」という事にお土産で気付きました。
これぞ「新しい発見」です。
僕の実例が「まずい」という否定的な例なので分かり辛いですが、逆に「これってこんなにおいしかったんだ!」という発見も当然ながらあるはず。
そしてその発見を増やす為には、「自分の想像範囲外」からのアプローチが必要です。
そういう意味では、お土産は受け取り手の世界を広げてくれる手段とも言えます。
そもそもお土産は生活必需品に分類される
キングコングの西野亮廣さんが、「革命のファンファーレ」という本で良いことを言っていました。
西野さんは「えんとつ町とプペル」という絵本を販売するにあたり「なぜ絵本というジャンルは売れないのか?」を徹底的に考えたそうです。
まず、牛乳やお米、卵などの「生活必需品」は買われる。
でもCDなどの「作品」は買われない。
しかし西野氏は、本来は「生活必需品」では無いはずの「“ご用”と書かれた提灯」を買ってしまったそう。
そしてそれは提灯が「お土産」だったから。
「俺、今まで“提灯欲しいなぁ!”なんて思ったことないのに、何故か提灯買っちゃったんだよねぇ。」
西野氏は、「お土産はもはや生活必需品である」と言っています。
これにはめちゃくちゃ納得。
お土産は生活必需品なんです。
だからみんな買ってるんです。
ちなみに西野さんは「えんとつ町のプペル」をお土産化してしまう為に、作品展を開き続け、その場で絵本を販売しているそう。
なるほど賢い。
でも前提が「買わなきゃいけない」というのもおかしな話
「お土産は生活必需品」という話には納得しましたが、であればそれだけ我々は「買わないといけない」という考えが染みついていることになります。
買い手が「買わなきゃいけない」と思っているのだから、貰い手も「もらわなきゃいけない」と考えます。
もちろんこれらは全て「暗黙の了解」であり、常識人なら考えるはずもない部分。
いや、むしろ考えてはいけない部分なのかもしれません。
僕が社会人として未熟な為にこうやって書いてるだけであって、一般社会で人間生活を全うしている常識人ならば、実は既に知りながら黙っているだけな気がしてきました。
「お土産」という生活必需品:まとめ
お土産は基本的に不要ですが、1%くらいの確立で「当たり」が来るので侮れません。
しかし全員が全員「当たり障りのないものでいっか」という考えだと、行き着く先はほぼ間違いなく「バタークッキー」なので、そこをなんとか「カントリーマァム」がスタンダードになってくれないかと祈っています。
そしてこの話はどうも「例の記事」でもしているので、今日はこの辺にして寝ます。
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