僕は大人になった今でも「自分は特別かもしれない」と考えることがある。
それは例えば、「周りの人全員に守られてる気がする」とかそういう感覚だ。
言い換えると「見張られてる」でも間違いじゃない気がする。
そしてこれは僕の完全な憶測だが、この考えは「自分が末っ子である」という事実から来ていると予想している。
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※関連記事は最後にまとめて紹介します「自分 特別」
「末っ子 特別」
「特別 インナーチャイルド」
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自分が特別だと感じる理由
何故だろうか。
どの職場、もしくは友達同士でも、時折「自分は特別扱いされてる気がする」と感じる時がある。
まるで自分がいないところで、「あいつを守ろう」と彼ら全員が自分を監視してるような気持ちだ。
映画の「サトラレ」的存在に似ている。
この辺りの感覚が、「自分が特別」だと感じる理由だ。
調べてみたら、これは「統合失調症」の症状にも当て嵌まるらしいが、僕の場合はそんな大げさなものではなく「幼少期の環境」から来ているのだと思っている。
どこへ行っても僕は「末っ子担当」だった
まず親戚の中で「一番年下」だった
幼少期、僕は泣き虫で本当に無力だった。
当時の自分の事は今でもあまり好きじゃないが、おかげで「学生時代に戻りたい」とか「幼少期に戻りたい」という考えを持つことが無い。
僕の末っ子感は半端じゃない。
まず3人兄弟の末っ子で、常に上の兄弟からいじめられてきた。(逆に守られてもきた)
ちなみに上とは5つ以上歳が離れている。
そして親戚間でも一番年下だった。
年に数回ある親戚の集まりでは、いわゆる「子供世代」の中では一番年下で、しかも次に年上の人とは4つも離れていた為、ここでも疎外感、そしてそれと同時に「守られてる感」を感じていた。
例えば正月の集まりでは、お年玉の一部を賭け金として、子供同士でトランプをするという娯楽があった。(今思えば普通に違法だが)
僕はずっとそれには参加できなかった。
しかしある時、僕は自分から参加したいと申し出て入れてもらった。
全員から「負けるから辞めといた方がいい」と言われたが、何故か僕は「それでもいい」と押し通した。
案の定負けた。
ルールが分からないから仕方が無い。
その時も結局、お兄さん、お姉さん方が「払わなくていい」と言ってくれたのだが、意地になった僕が「払う」と言い張り、結果として「1/10だけ払う」という形で折り合いが付いた。
たぶん、「弱者からお金を巻き上げてる」ような感じになるのが彼らは嫌だったのだろう。
それが各々の親に知れたら、彼らは怒られるかもしれない。
そこまで想像すると、本当に、いつまでも自分が永遠に子ども扱いされる気がして心底腹が立った。
「3月生まれ」ということでクラスの中でも一番年下だった
僕は”早生まれ”という名の「遅生まれ」だ。
※「学年の中で一番遅い生まれ」なのに世間一般では「早生まれ」と呼ばれることに腹が立つので、僕は「遅生まれ」と呼ぶようにしている。
おかげでクラスの中でも「末っ子担当」だった。
だから学校でも「守られてる」、もしくは「ハブられてる」と感じる事があった。
特に僕は「泣き虫」だったから、厄介ごとを避ける為に僕にだけは危険な橋を渡らせなかったのかもしれない。
正直に言うと、これに関しては具体的な例が無い。
雰囲気的な事なので文字に起こし辛い。
でも、中学までは本気でこの「疎外感」に似た「特別感」を感じていた。
気のせいかもしれない。
ただの考え過ぎかもしれない。
もしくは自分は頭がおかしいのかもしれない。
精神分析を受けたわけでは無いので正しいことは分からない。
人は誰だって「自分は特別」だと思いたいし、「この分野に関しては自分は特別」と感じることもあると思う。
その辺りのことは深すぎて良く分からないが、
少なくとも僕が感じる「見守られてる感(見張られてる感)」は、「どこへ行っても末っ子担当だったから」に関係してると思えて仕方が無い。
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「自分は特別」という考えは「精神年齢が低い」からなのか
僕はきっと精神年齢が低い。
でも本当に低いのだろうか。
ネット検索で見つけた情報で申し訳ないが、「精神年齢が低い人」の条件には以下があるようだ。
- 他力本願
- 被害者意識が強い
- 責任感が無い
- 感情の起伏が激しい
- 自己中で自分本位
上記に当てはまるかどうか、自分を見つめ直してみた。
まず僕は他力本願では無い。
自分の力でだけで何かを成し遂げることに強い憧れを感じる。
(チームプレーが嫌いなわけでは無いが、1人で成し遂げる事の方が楽しい)
そして被害者意識は基本的には無い。
むしろ常に加害者意識がある方だと思う。おかげで病みやすい。
責任感は、、、ある方だと思う。
具体的なエピソードは無いが、無責任では無い。
感情の起伏は、内側では激しい。
でも表面には出していない。
1人でいる時の方がより泣いたり笑ったり、そしてゲームやりながら「マジかよ!」とひとり言も言ったりするが、人前ではあまり出してない。
自己中かどうかは、たぶん当てはまらない。
むしろ周りのことが気になり過ぎて、飲食店に入る時も抵抗がある。
というわけで、僕は精神年齢が低いとは言い切れないらしい。
危うく自分勝手な馬鹿になるところだったかも
どこへ行っても年下で、僕はいじめられつつも可愛いがられながら育ってきた。
今思えば、子供の頃はわがままだった。
普通に生きていたら、「自己中」とか「責任感が無い」とか、いわゆる「インナーチャイルド」と呼ばれる人格だったかもしれない。
でも幸い、僕は「7つの習慣」「ザ・シークレット」という2冊の本と出会い、哲学を変えた。
”変わった”というより、意識して変えた。
おかげで僕は解放的で自由な生活を送れている。
(責任を感じるからこそ自由なのだ)
周りに流されず、もしくはあえて流されたりなど、常に自分の意志を反映させた生き方をしている。
きっと「末っ子思考」のまま生きていたら、こんなに自由で自分の望んだ通りの人生にはなれなかった。
とは言え「末っ子思考」の名残はある。
当ブログでも何度も言っているが、僕は1人が好きである。
そして「一人が好き」という趣向の根底には、「自分をいつまでも特別扱い(子ども扱い)してくる周りの人間が嫌いだったから」が関係してると思えて仕方が無い。
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まとめ:未熟でもいいじゃん
どこへ行っても「先輩面」は出来ないししたくない。
僕は「知ったかぶりの先輩面」が嫌いで、だからなりたくないと思っている。
管理職という立場にも死んでもなりたくない。
「管理職」というのも、「人はいずれ成長したらそういう役職になるもんだよ」という世間一般の考えに伴ったものだが、「本人の資質的に向いてない」と確信してるのであれば、無理にやる必要は無いと思っている。
大金よりも、そこそこのお金とストレスフリーな生活に僕は憧れている。
(そしてそれは既に受け取っている)
という訳で、僕は「他人の成長」にはあまり興味が無く、「自分が成長し続ける事」を重要視している。
いつまでも「プレイヤー」でありたいのだ。
しかしこの考えは、精神年齢以前に未熟だなと感じる。
でもそれでいい。
「開拓する必要がある」と思えるものは、自分の苦手分野でも突っ込んで行くし、「どうしても嫌」なら病みながらそれを続ける必要も無いと思っている。
こないだテレビで見たが、「ジャルジャルはひな壇が苦手だからバラエティーの仕事はあまり受けない」と言っていた。
自分の考えもそういう事だと思ってる。
自分は特殊で、特別で、未熟。
・最低でも仕事は3年続けろ
・いずれは管理職にならないといけないよ
・大人になったら車は持て
・結婚適齢期は27歳だから30過ぎて独身はまずいぞ
・というか結婚は絶対にしろ
というような一般的な考えも確かに重要だしたまに思い出す必要はあるが、必ずしも全てに自分を当てはめる必要は無い。
むしろ半ばどうでもいい。
なんか当記事を書きながら「幼少期の自分は本当に末っ子だったんだな」と改めて感じて腹が立ってきたので、だいぶ感情が入り混じり、壮大なまとめになってしまった。
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