気付けばこのブログも10年運営している。
開設当時は25歳、だったかな。
そこからかなり色々変わった。
何が変わったのか?
その「変化」をものすごく端的に表すと「存在感」や「嫌悪感」だ。
「パーティーが終わって、中年が始まる」を今読んでいる
パーティーが終わって、中年が始まる というベストセラーエッセイを今読んでいる。
これについてはまた後日レビューを書きたい。
この本では、「20代、30代という若者と40代では、感性も世間の風当たりも変わるよ」という事が生々しく書いてある。
もちろんそんな事は読まなくても分かることだが、
実際に僕は30代半ばに差し掛かり、正直分かってなかった。
以降、読みかけではあるが、本書の影響を受けた状態で記事を書いている。
部分的に引用するかもしれないが、面倒なので一々「本書から引用したー」などとは書かない。
「若者」と「中年」の差
家に他人を泊める事を想像してほしい。
仲良い友達とかではなく、知らない他人。
もしそれが、
→喜んで泊める
若い男性なら
→少し抵抗はあるが泊める
40代女性なら
→更に抵抗は増す
40代男性なら
→抵抗超えて警戒が生まれる
↑これは僕の感覚ではあるが、一般的な感覚だとも思う。
そしてこれは単に「中年の方が体臭きつそう」みたいな「衛生面」の話ではなくて、あらゆるものを包括した「存在感」にある。
若者と中年、存在感の違い
僕は良い歳ではあるが、後輩や部下というものが出来たことが無い。
いや、職場や学校の文脈上はあったかもしれないが、自分から「あいつ俺の後輩で~」とか言ったことも考えたことも無い。
だから心のどこかで「俺は権力を振りかざしてない」「俺はどこでも許容される側だ」なんて思っていた節も正直ある。
でも歳を取ると、自分と周りに乖離が生まれる。
40代というのは、どうしても「権力」を持つ。
例え無職でもニートでも「権力がある側」として見られる。
自分ではそんなつもりじゃなくてもね。
しかしその「権力」は、「周りを支配できる」とか「尊敬される」では無い。
「気を遣われる」だ。
つまり自分が意識していなくとも、
「君たちと同じ感性だよ」と思っても、
いや、宣言しても、若者は自分に気を遣う。
つまり「存在感」が増す。
さっき「家に他人を泊めるなら~」の話をしたが、その“他人”が中年であれば存在感が増す。
若者が部屋の隅っこで寝ていたら何も思わないが、
中年が部屋の隅っこで寝ていたら不安になる、警戒する。
異物感が凄い。
中年になると一人を楽しめなくなる
僕は一人が好きだ。
35になった今でも相変わらず一人は好きだ。
でも前ほど楽しめなくなった。
「Into the wild」という
「一人の男性がアラスカの荒野でサバイブする」というノンフィクション映画に鬼クソ感情移入して、
見様見真似で焚き火をしたり、
謎に缶詰を温めて食事をしていたあの頃は、
ピークに一人が好きだった。
一人だからこそ楽しめた。
でも今は、一人でやるゲームも、サバイブも、さほど楽しくない。
かと言って「みんなとやるゲーム」も全然楽しくなく、まだ居所が見つかっていない。
ただ、20代の頃は続かなかった「ボクシングジム」は、30代の今、とても楽しくハマっている。
習い事として「ピアノ」も始めた。
やっぱりちょっとずつ、楽しさのベクトルが「誰かと共有すること」に移行しているんだと思う。
一番心に“刺さった”映画「イントゥ・ザ・ワイルド (Into the Wild)」の感想 | ぱっかんシネマ
30代は「若者」であるという事実
10代の頃、30代の男性なんて誰しもが完璧な大人に見えた。
そして実際に30代の今、「自分はまだ大人になりきれてない」と思う部分もあるし、少なくとも人よりかは「まだ一人を楽しめてる方」だとも思う。
だから「30代になってもまだ孤独が楽しいなら、やっぱ俺は結婚とか向いてないんだな」と“安心”したりもした。(ちなみに今現在結婚はしている)
でも、実際に中年クライシスが発生するのは40代。
子供が急に欲しくなるのは40代。
急に結婚したくなるのは40代。
本当の意味で「大人」に移行するのは「40代」。
30代なんてまだ子供のうち。
「35になってもまだ20代とあんま変わらないな。やっぱ俺はマイノリティな生き方が合ってるか」と思っても、
それはまだ、若者側の思考から抜け出せていないだけで、感性は完成してない。
答えはまだ出すべきでは無い。
にも関わらず、「30代の今の感性」を答えとして生き続けると、きっと40代で痛い目を見る。
ちゃんと40代に向けて布石を貼っておかないと、
TikTokで良く流れてくる「42歳の婚活中年女性(男性)の現実」を体現することになる。
一番心に“刺さった”映画「イントゥ・ザ・ワイルド (Into the Wild)」の感想 | ぱっかんシネマ


