得てして末っ子とは理不尽を味わうことが多い。
長男長女、または次男次女辺りもそれなりの理不尽があるのだろうが、僕は末っ子なので「末っ子の理不尽」についてはしっかり理解している。
というわけで、「末っ子が味わってきた理不尽」を書きなぐっていく。
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まずは自分の「末っ子レベル」を紹介
まず僕は3人兄弟の一番下だ。
一番上の姉(7個上)
二番目の兄(5個上)
そして自分だ。
「実際に末っ子である」という事実とは別に、「上二人と年齢が離れている」という点が更に末っ子レベルを跳ね上げている。
そしてあろうことか、僕は親戚間でも末っ子だった。
親戚の集まりがある場合はたいてい「大人グループ」と「子供グループ」の世代に分けられると思うが、僕はその中でもしっかり年下だった。
更に更に、僕は3月生まれだ。
だから学年でも一番下だ。
「学年で一番下と言っても、4月生まれから比較しても1年しか変わらないじゃん」と言われそうだが、この1年がかなりでかい。
というわけで、僕の末っ子レベルはかなり高い方だと勝手に思っている。
だからこそ分かる「末っ子の理不尽」及び「末っ子のメリット」をまとめていく。
末っ子の理不尽
理不尽①自分の部屋が無い
兄弟は全員自分のプライベートな部屋を授けられているのに、僕は自分の部屋が無かった。
だから中学生くらいまで当然のように両親の部屋で寝ていた。
今だからこそ言えるが、両親の性行為も目撃したことがある。
さて、たまたま思い出したばっかりに衝撃的な話をさらりと言ってしまったが、本題はそこじゃない。
末っ子は自分の部屋をもらえない可能性が高い。
何故末っ子は自分の部屋がもらえないのか?
子供の頃、当然僕は両親に投げかけた。
「僕にも部屋が欲しい」
返ってきた答えは「成長したらどの道家を出ることになる。そしたら部屋が余るから、今無理に部屋を増やす必要は無い」だそうだ。
なんだろう。変に納得できるこの回答は。
当時僕は、「この返答を論破出来るほどの知恵が無い」というのも含め、変に納得した。
しかしそれと同時に、内側で燃え続ける怒りに似た何かを感じていた。
今思えばこれが「理不尽」という奴なのだろう。
一番上の兄弟が家を出るとして、それは10年後とかだ。
となると、少なくとも僕は10年は待たないといけない。
「今無理に部屋を増やす必要は無い」と良い感じに言いくるめられたが、それは「お前の部屋は無い」というのをただ言い換えただけだ。
実家の作りにも寄ると思うが、末っ子は、自分の部屋を持てない場合があるのだ。
理不尽②肉体的に兄弟にいじめられる
兄弟間での暴力なんて、確かにたかが知れている。
知れているが、上の兄弟は肉体的に多少の手加減をしつついじめてくる。
もちろんこちらとしては、どれだけ手加減されようがいじめてくる時点で腹立たしい。
友達同士の喧嘩と違い、肉体的に差がある「年上」からの暴力は、本当に脅威で、時に生きる意味を見失う程の恐怖を感じていた。
別にシリアスな話をしたいわけじゃないが、あの理不尽さは今も心に残っている。
大人になり、身体的な差がほぼ無くなった今でさえ、僕は兄弟のことが怖い。
これは僕にとって「中々実家に帰る気が起きない理由」の一つでもある。
理不尽③大事なものを奪われる
子供の頃、自分の宝物(おもちゃ)をある箱の中に隠していた。
しかし、それは自分の気付かないところで当然のように箱の中から出ていたりした。
誰かが触ったということだ。
盗られるということは(あまり)無かったが、自分の部屋が無いという事も含め、末っ子は自分の大切なものを守り通すことができないのだ。
守ろうとしても、肉体的にねじ伏せられ、一時的に奪われる。
この状況を2,3回味わうと、子供ながらに「大切なものは持つべきではない」と気付く。
末っ子にとって、最大の敵は家族の中にいるのだ。
だからショートケーキのイチゴも真っ先に食べていた。
理不尽④親戚の集まりが嫌い。大嫌い。
僕は「親戚の集まり」というちょっと特殊な条件下でも末っ子だった。
だからあらゆることで凄く馬鹿にされていた。
親戚間での一番の長老が僕にとっての祖母なので、親戚の集会場所も必然的に僕の実家だった。
そして親戚間の「子供グループ」は、僕の兄と近い年齢が多かった。
僕は飛びぬけて年下だ。
で、兄は当然ながら僕を見下している。
そうなると、兄のグループたちもそれに近い行動を取る。
しかもそこは我が家であり、ある意味「兄のホームグラウンド」なので、かなりタチが悪い。
「親戚にめっちゃいじめられてた」というわけでは無いが、地味な理不尽がいくつもあったので、僕は親戚の集まりが本当に嫌いだった。
今でもこの時のことを思い出すと、体の内側から燃え上がるような何かを感じる。
怒りとかそういうものでは無いが、ヒステリー的なものかもしれない。
逆に、末っ子のメリット
メリット①親の子育て慣れ
今にして思えば、親が子育てベテランとなっているので何かと臨機応変に対応してくれてた気がする。
特に「学校行事」に関してが大きかった。
僕は上に二人いるので、両親は既に2回ずつ学校行事を体験してることになる。
だから僕の行事の時は、割かしスムーズに物事に対処していた。(と思う)
もちろん子供の頃にそう思ったわけじゃない。
今思えばそうだったかも、という程度の話である。
メリット②なんだかんだ「おさがり」は良い
「おさがりが嫌!」という人もいるので一概にメリットでは無いのだが、僕は着る服も、遊ぶおもちゃも、全部おさがりだった。
そしてそれに満足していた。
特に嬉しかったのが、兄からのゲームだ。
兄は年齢的に上なので、当然僕よりお小遣いが多かった。
だから僕が手の届かないゲームもたくさん持っていた。
そして僕は、それらを数年遅れで譲り受けていた。
このことについてはただ感謝の気持ちが湧く。
メリット③兄弟への劣等感を感じない
兄、姉というのは、「自分の弟(妹)よりも優れていないといけない」という認識がどこかにあると思う。
学力だったり、スポーツだったり、恐らくどこかにそういう考えがある。
でも末っ子は、その辺のことを何も考えなくていい。
だって劣っていて当然なのだから!
「劣ってていい」という認識は、ヘタレな僕にとって非常に心地良いものだった。
末っ子の理不尽を書きなぐる:まとめ
当記事を書くにあたり、いわゆる「末っ子あるある」のようなものを、ポップめな雰囲気でボケながら書こうと思った。
でも実際に書きながら、子供の頃の理不尽を思い出し感情的になってしまったため、思いの外シリアスで重い文体となってしまった。
でもそれが事実なのだ。
僕は一人暮らしを始めてから、実家へ帰るのが本当におっくうだ。
「成長したら実家を出て部屋が余るから」と説得されていたのに、結局兄弟は誰も実家から出てないし、帰る度に嫌な思い出を思い出す。(良い思い出もあるが)
僕はたまたまバンドをやっていて都会に引っ越す必要があったので一人暮らしを始めたが、それがなければあの田舎町に未だに住んでたと思うと、怖い。
ただただ怖い。
当記事では、「末っ子の理不尽」について書いたがために、僕が上兄弟に対してかなりのフラストレーションを感じてるように見えるだろう。
もちろんそうなのだが、別にそこまで兄弟のことが嫌いなわけでは無い。
血のつながりがある家族の存在は非常に心強く、心から愛している。
ただ、出来ることなら(あまり)会話をしたくないだけだ。
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