無駄な自己犠牲と無駄な努力。
最近この2つが頭から離れないので、記事として書いてスッキリさせてください。
「自己犠牲 無駄」
「努力 無意味」
「無駄な努力」
などのワードで検索される方におすすめです。
まず僕は努力が嫌い
努力することが凄くダルイです。
でもこれは僕が人として欠陥があるだけだと思います。
更に僕は、以下の体験をしてより一層努力が嫌いになりました。
派遣で一日働いた時のエピソード
以前、興味本位で派遣の軽作業を体験しました。
業務内容は、工場内での箱の運搬です。
とりあえずベテランのおじさん派遣が何人かいるグループに割り当てられ、そこでおじさんの指示通りに働いていました。
おじさんたちも決して気が強いわけでは無く、メンタルが弱そうな点では僕と凄く似ていたと思います。
ある社員から「この箱を全部3階に運んでください」と言われ、派遣チーム全員で階段を使って運ぼうとしました。
ただ僕は着手前から「目の前にあるエレベーターを使ってはいけないのか」というのが気になって仕方がありませんでした。
僕は「今日は絶対に出しゃばらない」という気持ちでいたんですが、どうしても気になったのでベテランおじさんに「エレベーターって使えないんですかね。」と聞いてみました。
するとおじさんは「う~ん。分からない。」と答えました。
これはもしやと思いその辺の社員さんを捕まえ、「すみません。今この箱を上に運んでるんですけど、このエレベーターって使えないんですかね。」と聞いてみました。
すると「使う?いいですよ。」と返答が。
というわけで、20分くらいかけて行う肉体労働を、数分で、しかも体力も温存した状態で完遂することが出来ました。
派遣の体験で感じたこと
あやうく「無駄な努力」をするところでした。
僕はこういうのが大嫌いです。
作業なので「努力」や「自己犠牲」とはまた違う話なんですが、ちょっと似てる部分はあると思います。
結局派遣のおじさま達は、「エレベーターを使っていいのか」という質問をする勇気が無かったんです。
きっと彼らは、ベテランが故に「派遣は社員の指示に従ってさえばいい」という考えが染みついており、質問してみるという行動が頭の片隅にあれど、行動に移せなかったんだと思います。
それに僕たちの作業を観ていた社員さんも「エレベーター使っていいですよ。」という声をかけなかったことから、派遣を少し馬鹿にしていたという可能性もあります。
だからむしろ新人の僕の方が、アホなフリして質問しやすかったのかもしれません。
そういう意味では、僕が主体性を発揮できたのは凄く自然な流れだったようにも思えます。
無駄な自己犠牲について
映画の中では自己犠牲は非常に美しく描かれます。
仲間の為に命を落としたり、ミッションを遂行するために自殺同然のことをしたり。
現実でもそうです。
むしろ日本は「集団意識」が強いせいか、より一層「自己犠牲が美徳」的な考えがはびこっています。
誰かが残業してたら、自分はできることが無いのに一緒に残ってあげる。みたいな。
正直この気持ちは僕も分からんでもありません。
気にしいの僕にとって、「自分は手伝えることが無いけど、みんなが残って作業してる」という事実は非常に重苦く感じられ、帰りづらいです。
でも無駄に時計の針が進んでいるのを見ると、「やっぱ帰ろ!」となります。
自己犠牲のエピソード
以前ブラックSEOを得意とする会社で働いていた時、「偽のFBアカウントを作る」という命令が出てきました。
チームリーダーから手順が説明され、その中に「自分のケータイを使って~」というのがあり、そこで少し引っかかりましたが、そのまま話を聞き続けました。
「こんな怪しいことに自分のケータイなんか使いたくない」と誰かが言い出すだろうと思い僕は黙っていましたが、結局誰も言い出しませんでした。
仕方なく僕が「日常生活でも支障が出るリスクがありそうなんで、ぶっちゃけ自分のケータイは使いたくありません。」と正直に言うと、「わかりました。ではぱっかんさんには僕のもう一台の電話を渡すので、そちらで作業してください。」と返答が。
やったぜ。そう思っていたら、「私も自分のは使いたくないです。」と雪だるま式に全員が乗っかり始めました。
チームリーダーは困っていました。
あまりに困っていたので「社用ケータイ手配してもらえないんですか?」と提案してみたら、「ちょっと後で上に聞いてみる」と言っていました。
結果、「社用ケータイ?いいよ。」と言われたようで、無事全員、自分のケータイを守り通せました。
「自己犠牲のエピソード」を体験して
まず、「最初に僕に自分のケータイを差し出そうとしたチームリーダー」が自己犠牲の対象です。
彼は「社用ケータイを使えないか上に聞いてみる」という選択肢を取れずに「自分のケータイを差し出す」という行動に飛びつきました。
確かに「何かを上に提案する」というのは非常におっくうでやる気を削がれます。
でもそれが出来ないせいで自己犠牲に走るというのは、いかんせん短絡的な気がします。
そもそも僕は人一倍「会社の為にプライベートに支障をきたしたくない」という気持ちが強いので、真っ先に「自分のケータイを使うのは嫌」と思いましたが、チームリーダーは出世やら何やらを考慮しないといけません。
だから真っ先に「自分だけで解決する(自己犠牲)」という行動を取ったとも考えられます。
そして僕側の立場の人たちも、「自分のケータイを使いたくないと誰かが言い出すのを待っていた」ということが判明しました。
実際に僕も「誰かが言い出してくれないかな。」と思っていたので気持ちは同じです。
僕が言いたいのは、「最善じゃない努力が嫌い」ということ
・理想の大学に入る為に勉強する
・試合に勝つ為に毎日身体を鍛える
・給料を増やすために勉強する
これらの努力は「最善の努力」であり、すべきことです。
僕が嫌いなのは、「他にやりようがある(かもしれない)のに、それをせず無理に努力して成し得ようとすること」です。
めっちゃ体力削って努力して完遂した後、「このシステムを使えば一発で終わるよ」と後で言われる。
こういう事象に対して鬼のように腹が立ちます。
だから、「これを2階に運んどいて」と言われた場合も、どのようにして運ぶのが最適か、まず真っ先に考えを巡らせます。
そしてどうにもやりようが無いと分かった場合、凄くガッカリしながらその作業に着手します。
「本当にこの方法しか無いのか?」という疑問が残ったままだと、全然やる気が出ません。
というか、着手しながら腹が立ってきます。
「常に最善を探す」という考えは、僕の「着想力」に起因している
僕は「着想」という資質が優れたことになっています。
着想というのは「閃き」を得意とする資質で、「物事にロジカルさが無いと納得できない」というデメリットを持っています。
「物事への繋がりに対し異常な執着を持つ」というまとめ方でも間違いじゃないと思ってます。
そして着想力が高いと、他者よりも物事の選択肢が多いように思います。(自己体感です)
例えば僕は、「道路脇に設置されているこの茶色い箱はなんだろう?」と、無駄なことに対してすぐ気になります。
そしてそれが「電信柱を地中化したところに出来るもの」だと分かると、「なるほど。確かにこの箱があるところはなんとなく見晴らしが良く、そしてそれは電線が無いせいだったのか。」とあらゆる”繋がり”が頭を駆け巡ります。
これは僕にとって最高に気持ち良い瞬間のひとつ。
生きてて良かったと思える瞬間でもあります。
この着想力は、もちろんブログでも活きます。
閃いたことを記事に書くのも楽しいですし、自分で記事を書きながら更なる繋がりに気付き、どんどん記事が膨れていくこともあります。
話が反れましたが、「着想力」に長けている者の責任として、他者よりも一歩先を行く目線で物事を見ていかなければと思っています。
関連記事:
[都会にある「謎の茶色い箱」の正体は、「地中化した電信柱」だった! | 福岡散歩ブログ] ※関連記事は最後にまとめて紹介します無駄な努力と自己犠牲の話:まとめ
今回の記事はぶっちゃけちょっと失敗です。
最近頭の中で「自己犠牲」や「無駄な努力」に関することがグルグル回っていたので書き起こしてスッキリしたかったのですが、自分の中で思い当たる体験談を書きつつも「ちょっと分かりづらいな」と自分で感じてしまいました。
「無駄な努力」に関しては特に、プログラマーさんとか、システムエンジニアさんに当てはまると思います。
生粋のプログラマー思考の方は、出来る限りの事をシステム化し、業務をとにかく楽にすることを考えています。
僕も彼らのようになりたい。
そして彼らはきっと「最上志向」に優れています。
関連記事:
最上志向に優れている人は、「マイナスを平均に戻すことよりも、平均値を最高まで高めること」に快感を感じます。
そしてこれは、着想力に次いで、僕が二番目に優れている資質です。
「無駄な自己犠牲を避ける」ためには、「本当にこれが最善か?」と常に疑えるように「最上志向」の資質も必要なようです。
最後に、僕が3番目に優れているのは「内省」です。
記事中に登場したリンク:
[都会にある「謎の茶色い箱」の正体は、「地中化した電信柱」だった! | 福岡散歩ブログ]