初めて何かを始める。
または、何度もこなした事のある案件でも、始動する直前まではやけに不安になるという人がいる。
僕だ。
そして、この考えを辿れば「永遠に感じ続ける将来の不安」にも終止符が打てるのでは、と思えてきた。
「将来 不安」
「初めて 不安」
などのワードで検索される方におすすめです。
なんにせよ。初めてのことをする前は不安が募る
よっぽどポジティブな人間じゃない限り、たいていの人がそうだろう。
何か初めての事をする前は、やたら不安になる。
僕の場合は、豆腐メンタルという事も含め、自分の中の心配性な部分が研ぎ澄まされ、良く眠れなくなるくらい考えてしまう。
「仕事で失敗する夢を見る」というのは、「実際に失敗するからそういう夢を見る」というスピリチュアル的なものではなく、「失敗したくない」という本人の意識が投影された結果だと聞いた。
先ほども言った通り、僕は激モロクソザコメンタルなので、そういう夢も良く見るし、今後も、何かにトライする度に精神をすり減らしていくことだろう。
永遠に消えない将来への不安
少なくともネット環境が整っている事を考えると、今、この記事を読んでくれてる方のほとんどが、人間として上等で、文化的な生活を送れていると思う。
もちろん僕もそうだ。
決して安定しているわけでは無いが、十分に幸福な生活を送れている。
しかし時折「このままでいいのだろうか。」という不安が押し寄せてくる。
いや、より正しい言い方をするならば「このままで居続けられるだろうか」かもしれない。
何もやる気がなくベッドに寝転んでいる時は、「こんなに頑張らない生活を送り続けて、本当に良いのだろうか。」と考え、しっかり働いている時は、「このままで居続けられるだろうか」と考える。
「初めてのことをする前に不安を感じる」というタイプなら、永遠に「将来への不安」を感じ続けることになる
演繹法(えんえきほう)という推論を用いると、いかのような仕組みが出来上がる。
・僕は初めてのことをする前は、必ず不安になる
・未来のことは人間には分からないので、言うなれば毎日「初めての事」に遭遇してる
・つまり必然的に「未来に不安を感じ続ける」ことになる
どこかにほころびが生じたら一気に破綻してしまう話だが、とりあえず僕は上記の考えから、「僕が未来に対して不安を感じるのは当然のこと」と思えるようになった。
漠然とした不安からの解放
今まで「不安を感じている事について疑問を持ってみる」という事をしたことが無かったので気付かなかったが、未来の事が予知できない以上、僕は「不安を感じ続ける」宿命にあるようだ。
でも、不安を感じ続ける人生なんてもちろん送りたくない。
というわけで、僕は不安を重要視しないことにした。
もしベッドに寝っ転がりながら「このままでいいのだろうか。」という不安が湧きでてきたら、「あ。そうか。僕は心配性だから、それで不安を感じているんだ。」と、もはや「このままでいいのだろうか。」という問題そのものを無視し、自分の性質だけを見つめるようにした。
そして、「不安を感じても仕方ない。」もしくは「不安を感じてもいい。」という考えにシフトする。
どうせ明日には、また別の悩みがあるのだから。
初めての事をする前の不安は、「将来の不安」と同じかもしれない:まとめ
また思いつきで記事を書いてしまった。
僕は「着想」という資質に優れていることになっており、この着想に優れている人は、ものごとに繋がりを感じると快感を覚えるという特徴がある。
そして今回、「もしかして僕は、”将来”ないし”明日”のことを、”初めてのこと”として捉えているのではないか?」と気付いた。
更にその着想に対し、以前から燻っていた「自分は初めてのことをする前に不安に陥るタイプ」という性質を照合し、「じゃあ定期的に不安を感じるのは、飽くまで自分の資質が引き出したものであり、現実はそこまで重いものでは無い」と結論付けてみた。
少なくとも僕はこの考えを持てたおかげで、なんとなく肩の力が抜け、休息すべき時はゆっくり休息できるようになった。
今回の考えが大多数の方に当てはまるとは思わんけど、こうやってネタが降ってくるのはブロガーとしては凄く心地良い。
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