何かを見たり感じたりした時に「懐かしい」と感じることがある。
でももしかしたらそれは、我々が普段認識している「懐かしい」とは、また違った感覚なのかもしれない。
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僕が懐かしさを感じる時
季節の変わり目や何かの匂いをトリガーとして、僕は結構な頻度で「懐かしい」と感じる。
特に夏の夕暮れ時、景色がブルー寄りのグレイに染まった空を見ると、そりゃもう最高な気分になり、懐かしい感覚に包まれる。
でもその夕暮れにより得られる懐かしさは、その年に一度でも感じてしまったら、その翌日からはもう得られないはずだ。
まぁ二日連続で体験した程度なら「昔を思い出すなぁ」という感じで懐かしめるかもしれないが、同じ体験を1ヶ月も繰り返していたら、次第に「懐かしい」と思わなくなるはずである。
しかし、僕は夏の夕暮れを体感する度に「懐かしい」と感じる。
何回連続で体感してもそれは変わらない。
何故だろう。
少なくとも僕が覚えている限りでは、
・なんとも言えない絶妙な曇り空
・夕暮れ時の、景色全体がグレーに見える瞬間
これらの事象に遭遇するといつも懐かしんでおり、それは小学校の頃からあった。
授業中に「絶妙な曇り空」であることに気付くと、「授業なんかやらずに外へ出たい」という欲求に駆られていたのを良く覚えている。
どうやら「暗くなりかけた空」がとにかく好きらしい。
懐かしいと感じる時、本当に懐かしんでいるのか?
懐かしいとか、メランコリックとか、それっぽい感情は全員にある。
きっと動物にもある。
そして「懐かしい」の定義は「昔のことを思い出して嬉しくなること」である。
「昔のことを思い出す」だけでは懐かしいとは言わない。
「嫌な思い出」を思い出しても、全然「懐かしい」とは思わない。
「昔のこと」と「嬉しい感情」が組み合わさって「懐かしい」という感情に至るのだ。
ちなみにwelio辞書では以下のようにまとめられている。
なつかし・い [4] 【懐かしい】
〔動詞「懐く」の形容詞化〕
①昔のことが思い出されて,心がひかれる。 「ふるさとが-・い」
②久しぶりに見たり会ったりして,昔のことが思い出される状態だ。 「十何年ぶりに逢って,ほんとうに-・いなあ」
③過去のことが思い出されて,いつまでも離れたくない。したわしい。 「佐保山をおほに見しかど今見れば山-・しも風吹くなゆめ/万葉集 1333」
④心がひかれて手放したくない。かわいらしい。 「あさましきにあきれたるさま,いと-・しうをかしげなり/源氏 花宴」
④に注目してほしい。
心がひかれて手放したくない。かわいらしい。
と書かれている。
ここには「昔を思い出して」などと書かれていない。
「嬉しい」という言葉こそ使われていないが、「心が惹かれて」とか「かわいらしい」というポジティブなワードばかりが使われている。
(おそらくだが④番の解説は“懐く”という言葉に言い換えると分かりやすい)
「懐かしいと感じる時、本当に懐かしんでいるのか?」
本当に疑問だ。
僕は絶妙な景色や曇り空を見たり体感した時、「懐かしい」に非常によく似た感情が沸き起こる。
でもその時に「昔を思い出すなぁ」と感じる事は少ない。
都会に来て“最高の夕暮れ”と出会い、懐かしいと感じた
僕が都会を好きな理由は「都会の夕暮れが好き」だからだ。
初めて自分の体で、“日常の中にある何気ない都会の夕暮れ”を体感した時、「ウットリ感」が沸き起こるのを感じた。
そして僕はそれを「懐かしい」のだと思っていた。
でも「都会での夕暮れ」は初めての体験だから、過去を思い出して懐かしめるはずがない。
にも拘わらず「懐かしい」と感じるということは、もしかしたら都会の夕暮れを「夢」で見たのかもしれない。
夢で見た記憶の中には、「目が覚めた時には忘れているが、潜在意識には深く刷り込まれている場合」もある。
ある景色を見たり、何かを体験する度にその「夢」を思い出しているのであれば、もはや運命的な何かを感じる。
もちろんその可能性もあるのだが、少し前から、「懐かしい」という感情は、「嬉しい」という感情の中の枝分かれした感情のひとつで、「決して昔のことを思い出す時だけに感じるものではない」のかもしれない、と考えている。
何故昔を思い出してないのに「懐かしい」と感じるのか
毎晩毎晩夕暮れを体感しているのに「懐かしい」と感じるのはおかしい。
また、僕は夕暮れが好きだが、それは「外で感じる夕暮れ」に限定される。
部屋の窓から眺める夕暮れには、もはや鬱になりそうな程に絶望的な何かを感じる。
このように「夕暮れ」という一つの事象に対して、希望も絶望も感じられる。
余談だが、僕にとって「夕暮れ」はとてつもない程に強力なパワーを持っているようだ。
懐かしい感じがする時、必ずしも「昔を思い出してる」わけじゃない:まとめ
「懐かしい」という感情は、「嬉しい」という感情の中の枝分かれした感情なのか、それとも「嬉しい」の最上級に当たるものなのか、分からない。
分からないが「懐かしい」という感覚が凄く好きだ。
とてつも無い幸福を感じる。
上海とかマンハッタンの夕暮れ写真を見るだけでも懐かしいと感じる。
セインツロウやGTA5でヘリから夜景を見下ろしてるだけでもそう感じる。
オープンワールドゲームの魅力・楽しみ方を力説する | やるゲーブログ
当記事は勢いに任せて書いてしまったが故に何の結論も出ず決め付けで終わってしまったが、こうやってブログに書き出したおかげで、次回から懐かしさに包まれた時に、無理に昔を思い出そうとせず思う存分「今」を楽しめる。
とても共感しました。
日々の生活のなかで、このように懐かしさに強く惹かれる感覚が、他の人にもあまねく存在しているのかは分かりませんが、
私もどこかで、懐かしさに執着するようになったのだと思います。
私も、懐かしい景色を気にし、それをスルーしないように努めるうちに、多くの感覚は実は「懐かしさのような感覚」なのではないかと思うようになりました。
私も、懐かしさは、単独で備わっているなにがしかの感情だと思っています。
もしかしたら、愛に関係する何かがあるのかもしれないと思っています。
ヒトは社会的な生物ですから、他人の関係との中で愛が必須であった、進化を手助けしてきた感情の、核のようなものが、怒りや楽しさなどと同じように、1つの根源的な感情としてあるのかも?というイメージです。というのも、私が懐かしさを覚えるとき、「悲しい」や「優しい」に近い気分もあります。これら2つも社会的な感情だと思います。一人ではないような気分にもなるということがありました。どこかに、他の誰かのカケラが存在しているような気がするのです。星空を眺めてこの感情になるときも、どこかにそういった感情があります。家族かもしれないし、誰かはわかりませんが。言葉が下手ですみません。
梶井基次郎の小説『城のある町にて』で、主人公である峻が、どこかの入江を眺めたときに、不意に説明不能な郷愁めいた感情に襲われるシーンがあるのですが、ふとそれを思い出しました。梶井基次郎も、懐かしさのような感情に執着している人だったような気がします。私もああいった感情に見舞われているとき、例え自分がいずれ死ぬにせよ、この感情だけは神すら否定できない確かに素晴らしいものだと信じられます。この感覚に陥るときは私にとってはまぎれもなく「幸福」であり、生きていて良かったと感じる瞬間です。強い体験は人生で何度もないと思うので、大切にしたいです。
他にも懐かしさを思い生活している人がいて、大変参考になり、とても共感する思いです。
パンドラボックス様
コメントありがとうございます!
この現象を形容するのは本当に難しく、
僕は小説などをあまり読まないので、
『城のある町にて』をご紹介頂けて嬉しい限りです。
パンドラボックス様からも詩的な雰囲気が感じられます。
また、僕にとってこんなにも言語化が難しい現象を、
分かりやすくまとめられたことにも感激しています。。。