こんにちは。ヘタレのぱっかんです。
まだまだ今住んでいる部屋から出ていく気はないが、「もし出ていくとしたら」を想像すると凄く悲しくなる。
それがどれだけ希望溢れる引っ越しだとしても、今いる場所にもう二度と立ち入れないという現実は悲しい。
というわけで、「何故引っ越しで悲しむのか」「”引っ越しブルー”にどう対処すれば良いのか」を考えてみる。
「引っ越し 悲しい」
「家具 捨てる 泣く」
「家電 捨てる 泣く」
などのワードで検索される方におすすめです。
目次
シンプルに引っ越しが悲しい
僕は今のマンションに6年近く住んでいる。
当分引っ越す予定は無いのだが、たまに「もっと広い高層マンションの最上階とかに住んだ妄想」を繰り広げる。
その際「窓から見える景色」とか「広くて新しい部屋」に対して凄くワクワクした感情が湧くものの、「今住んでいる部屋」を思い出すと途端に悲しくなり、「引っ越しなんてやっぱりしたくない」と考えてしまう。
今までの自分を見守ってくれたこの部屋。
何の文句も言わず、自分の好きなようにさせてくれたこの部屋。
言うなれば今も僕を守ってくれている。
この部屋から去るという事は、もうこの部屋の景色を二度と見れなくなるということだ。
もう二度と会えない。
切なすぎる・・・
あまり「人」が得意ではない僕は周辺住民に対してそこまで悲しい感情は湧かないが、こと「物」に対しての別れを想像すると、何か形容しがたい感覚に襲われる。
きっとこれから先、自分の成長や何かしらの環境の変化によって、今住んでいるこの部屋を出ていくことになるだろう。
そしてそれは、まるで飼い犬がいつか死ぬという事実のように怖い。
家具・家電を捨てた時は凄く悲しかった
説得力に欠けるのであまり言いたくはないが、上記のように僕はまだ引っ越しは経験したことが無い。
(実家からの引っ越しは例外)
でも「家具の廃棄」を経験した時に凄く悲しかった。
僕は2年前にベッドを買い替えた。
今持っているベッドではなく、どうしてもシンプルなマットレス一体型ベッドが欲しかった僕は、楽天市場で思い切って注文した。
そしてそのベッドが到着するまで毎日ワクワクしながら待った。
一日3回はその商品ページを確認し、「やっぱり青が良かったかな。いや、でも結局白色の方が良いね。この色を選んで良かった」と自分の中でいろんな考えを繰り広げ喜びを爆発させていた。
そしてベッド到着当日。
新しいベッドにワクワクしていたものの、突然「今座ってるこのベッドはもう廃棄される」という事実を思い出した。
思えば10年近く使ってきたベッドだ。
何歳か忘れたけど、いつかの誕生日で親から買ってもらったベッド。
ナフコで買って、業者に搬入を依頼した。
「搬入先の部屋は二階で、階段が狭いから窓から入れるのが良いかもしれない。」
と母親がスタッフに念を押したのを覚えてる。
そしたらスタッフは「では出来るだけベテランの配送員を行かせます。」と言った。
僕はその搬入作業に立ち会っていないので分からないが、ある日僕が家に帰り部屋に戻ると、そこには既にベッドが設置されていた。
きっとベテラン作業員が頑張ってくれたんだろう。
あれからずっと何の文句も言わず僕を支え続けたベッド。
あのベテラン配送員は今は何をしているのだろうか。
元気だろうか。
今すぐその配送員に会って「このベッドを届けてくれてありがとう」と言いたい。
あのナフコの販売員にも「ありがとう」と言いたい。
もちろん両親にも。
「配送員がこのベッドを運んでくれた」という事は、ここ10年近く一度も思い出したことが無い。
それを今になって唐突に思い出した。
新しいベッドの到着当日、僕はこの旧ベッドに対して凄く申し訳ないことをしているんじゃないかとさえ思った。
あれだけ楽しみにしていた新しいベッドの到着について、一日でも遅れて欲しいと願い、なんならキャンセルという選択肢すらチラついた。
本当に悲しくなった。
ボロボロ泣いた。
これを書いてる今も目頭が熱い。
この悲しみをどう乗り越えるべきか
人間は日々成長しているので、いつかは今の持ち物との別れが必ずやってくる。
そしてそれは毎回悲しいし苦しい。
どうやってこの事実を受け入れようか。
どうやって乗り越えようか。
「部屋」との別れの乗り越え方
今まで自分を守ってくれたこの部屋。
一度引っ越すと、もうこの部屋には二度と戻れない。
もし僕が引っ越すとしたら、家具家電の一切が無くなって裸になったこの部屋で、きっと泣き崩れるだろう。
「〇年間も守ってくれてありがとう」とドラマのようなセリフを吐くだろう。
でもこの部屋を去るということは、自分はきっと新しいステップを踏むということだ。
仮にそれがマイナスな引っ越しだとしても、自分の成長、自分に相応しい環境に身を置く為にこの部屋を出るということだ。
そしてこの部屋もまた新しい誰かが住むことになる。
自分が新しい環境に身を置くように、この部屋もまた新しい”誰か”との人生を歩むことになる。
であれば、「部屋」が歩む新しい人生を祝おう。
物は基本的に「人間」という観測者が居て初めてそこに存在する。
この部屋は、僕が住み続けた期間中は、僕によって部屋としての意義が生みだされた。
だからこの部屋も、僕に感謝してないわけが無い。
お互い悲しいはずだ。
そして引っ越しというのは基本的に自己都合で行う為、まるで部屋にとって悪いことをしているようにも思える。
でもその部屋も僕に感謝しており、部屋もまた新しい環境へとステップアップするのだ。
僕が引っ越した後、誰かがこの部屋に入る。
ステップアップするのは自分だけじゃない。
それはこの部屋も同じ。
であればこの部屋に住んでた者として、新しい住民とこの部屋の今後の生活を祝福することができる。
「お前と別れたくない」という悲観的な考えから「お前も新しい人間と、可能な限り幸せな人生を歩めよ」と応援できる。
そう考えることで、少しは引っ越しブルーから解放されることが出来る。
「家具・家電」との別れの乗り越え方
部屋と違って、家具や家電の廃棄というのは「命の終わり」を意味する。
僕が愛用していた旧ベッドももうこの世には無い。
いわばこれは「死」だ。
自分が新しい物を取り入れた事によって、今まで使ってきた古いそれらは死ぬことになる。
そしてこれも「自己都合」による廃棄であるため、まるで物に対して酷い事をしているように思える。
でも本当にそうだろうか。
物を捨てる時に精神的な痛みを伴うということは、少なからず自分はその物について愛を注いでいたということだ。
であれば、捨てられるからと言ってそれらの物が悲しみに暮れているとは考えられない。
物も基本的に、観測者が居て初めて存在意義が満たされる為、そういう意味では物も僕たちに感謝しているはずだ。
にも拘わらず、「今まで何の文句も言わず我慢して24時間働き続けてくれたのに、私の勝手な都合で捨てちゃってごめんね。」としか考えられないのであれば、それはかなり自分本位だ。
物の意志を全く汲み取れてない。
それらの家具・家電は、いや、子供の頃に良く遊んでいたおもちゃでも道具でもなんでも、実際に僕たちが使ったということで大きな役目を果たせた。
きっと彼らは僕たちに感謝している。
少なくとも「捨てられること」に関して我々を恨んだり、悲しんだりはしていない。
「ご主人との別れ」について悲しんでいるかもしれないが、それはこちら側と同じ。
我々に出来ることは、「今まで一緒に居てくれてありがとう」と感謝を述べ、丁寧に葬ってあげることだ。
写真に取ったり、記憶の中にに刻むなどして、その物との思い出を大切に保管しておこう。
「ご主人に覚えられている」という事実のおかげで、彼らは死して尚、存在意義を満たし続けられるのだから、きっと嬉しいはずだ。
引っ越す時に「部屋」に対して凄く悲しくなる:まとめ
ペット、部屋、家具・家電との別れは、彼らが物言わぬ存在である分余計に悲しい。
でもいつかは必ずやってくる。
しかし悲しみに暮れるだけではなく、ちゃんと彼らと自分の門出を祝ってあげよう。
僕は当記事を書きながら、子供の頃集めていたポップコーンの付録「メガタゾ」をなんとなく思い出した。

おわり。
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