「ミドルエイジクライシス」
「中年クライシス」
「中年特有の虚無感」
最近これらのワードに敏感になった。
心当たりがあるからだ。
実際、昔以上に時折虚無感に苛まれることがある。
早い話が「新鮮さが無く、何をやっても退屈」と感じる。
そしてこの状況への対策が「サードプレイス」らしい、ということも最近知った。
サードプレイスを持つことの重要性
このような、趣味やボランティアなどといった、自宅や職場以外の居場所は「サードプレイス(第三の場所)」と呼ばれ、昨今注目を集めており、マイナビの調査でも、正社員の5人に1人はサードプレイスを持っていることが分かっている。
サードプレイスの概念
某有名カフェでバイトしてた事がある。
そのカフェの理念の一つが「サードプレイスの提供」だった。
今でこそ浸透してる「サードプレイス」だが、当時は新鮮だった。
ファーストプレイス:自宅
セカンドプレイス:職場
サードプレイス:落ち着く場所(など)
みたいなニュアンスだったと思う。
「ウチのカフェをそのサードプレイスにしてもらおう」
素晴らしい理念だと思う。
これを基に考えると、
例えば今日までの僕だと、
・キックボクシングジム
・ピアノ教室
とかが該当するかな。と思った。
でももっと強力なサードプレイスがあった。
その前に。。。
「サードプレイス」とは「場所」だけじゃない
サードプレイスとは、名前だけを見ると「場所」に限定して考えられそうだが、講義では「考え方」や「行動」も該当する。
例えば、
・日記/ブログを書く(行為が同じ)
・毎週新しいカフェに行く(場所は違えど行為は同じ)
などなど。
なんというか、「自分の立ち返る瞬間」という表現でも合ってる気がする。
さっき僕は、自分のサードプレイスとして、
・キックボクシングジム
・ピアノ教室
を挙げた。
これはこれで良いのだが、正直自分でピンと来ていない。
これらはとっても好きだけど、でも「無くなっても別にいいや」という気持ちもある。
なんというか、「これらの場所に行ったとて満たされるわけじゃない」という感覚。
でも思い返すと、僕はもっと強力なサードプレイスを持っていた。
「時間」というサードプレイス
僕のサードプレイスは、
夏なら 19:00 頃。
冬なら 17:00 頃。
つまり「夕方」だ。
思い返せば10代の頃から「夕方」が大好きだ。
「夕方」というトピックを含む記事もたくさん書いた。
ただ、この「夕方」は割と危うい。
「あー、、夕方だー。」と鬱になることもある。
まるでバッドトリップだ。
ただ、僕の場合は「夕方頃に家にいる」と堕ちる、と分かっている。
だから外へ出る。
それが最高なんです。
僕は「夕方の街」が本当に好きなんだなと、今改めて痛感している。
「夕方に好きな場所へ行く」というサードプレイス
僕は街中に「好きな場所」をいくつか持っている。
・川辺のベンチ
・ちょっとした高台
そういうところで一人でボンヤリするのが好きだ。
そしてこれらの行為は、大抵日が暮れてから、もしくはド深夜に行う。
でもやっぱり「夕方のあの刹那」にやるのが好きだ。
「家に居ない」から夕方鬱にもならない。
「毒にも薬にもなる」ってこのことだと思う。
「夕方のその瞬間に、好きな場所で一人佇む」
この瞬間が最高だけど、僕の「サードプレイス」はその瞬間だけじゃない。
「夕暮れの街を歩きながら目的地に向かう」そのレクリエーションも含めて「サードプレイス」なのだ。
この瞬間だけは誰も僕を止められない。
かなりの悪天候でも、それはそれで眺めや体験が変わるわけで、僕のテンションは変わらない。
「雨の日でもやりたくなる」ってさ、(良い意味で)中々の依存度だと思う。
「サードプレイス」という依存先
サードプレイス=趣味
という解釈だと、例えば僕はオンラインゲームを良くやる。
でもそこを拠り所にしてたら、かなり不安定だ。
オンラインゲームは疲れる時期があるし、飽きが来る。
まぁ「依存先は複数あった方がメンタルが安心するよ」って話。
それと、「サードプレイスは外で行った方が良い」という事。
僕はフルリモートの仕事なので、常に家にいる。
だから、外でやるレクリエーションを特に大事にしたい。

