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方言の「だからよー」の厄介さを力説

方言の「だからよー」の厄介さを力説

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ぱっかん
執筆者:散歩ブロガー「ぱっかん(@pakkan316)」福岡散歩ブログも絶賛更新中!

今回は、”こんなテーマで一記事持つか?”
という内容です。

僕は福岡人なんですが、鹿児島、宮崎方面から出てきた人は「だからよー」という方言を使います。

これは東北の方でも使われてる方言らしいですが、ちと厄介なので問題提起します。

※当記事は
「だから 方言」
「だから 鹿児島」
「だから 東北」
などのワードで検索される方におすすめです。

方言の「だから」の意味とは?

鹿児島出身の女の子に「そっちの方の可愛い方言とかない?」って聞いたら、「”だからよー”というのがある」と聞き、これが全ての始まりでした。

「だからよ」の意味は、「確かに」とか「そうだね」とか、最近の言葉で言えば「それな」と同等のようです。

確かに可愛い・・・。

もちろん「だからよー」という方言を知らない我々は(我々の定義にもよるが)、「だからよー」と言われたら、その人が何か話を続けようとしてると思い、つい聞く姿勢に入ります

 

なのにその人は話を続けないので、「え?」となります。

知り合いの鹿児島出身者は、福岡に出てきた直後は何度かこの方言を使ってしまったようで、当然これによる事故にも遭遇したと言っていました。

鹿児島でも「だから」という接続詞はちゃんと活きている

方言なんて突っ込むだけ無駄ですし、場違いなのは分かってます。
でも、「だから」という言葉は、標準語としても存在します。

だから~である」という一般的な接続詞です。
これは全国共通、小学校低学年の頃に習うはずです。

であればその段階で「だからよー」という方言は淘汰されてもいいんじゃないっすか。

ちなみに「だからよー」を地元で使ってたという宮崎出身の知り合いは、「”だから”なんて日常会話ではめったに使わないし、使ったとしてもニュアンスでどっちの”だから”なのか分かる」と言っていました。

「日常会話では使わないから」なんて言い出したら、なんでもありの無法地帯の議論が始まるのでスルーします。

かと言って「ニュアンスでどっちの意味か分かる」というのも中々怪しいです。

 

実際、「だからよー」を知らない福岡人につい方言の「だから」を使ってしまい、「で?続きは?」と言われたことが何度もあると宮崎人は言っていました。

勘違いを生んでる時点でこれは悪では無いのでしょうか。
そして「ニュアンスで意味が分かる」というのが破綻しています。

たぶん、同じ宮崎人同士の会話でも、100回に一回くらいは「だから」をどっちの意味か間違えて捉えてしまい、でもその後会話を続けてたら
(あ、さっきの”だからよ”はアッチの意味だったのか)
と閃く瞬間があるんじゃないでしょうか。

「ニュアンス」では無く完璧に使いこなせるようにすべき

「行った」という日本語があります。
僕はこの言葉が大好きです。

小学校で習った通り、「行った」には二通りの読み方があります。

行った(いった)

行った(おこなった)

です。

 

これは見ての通り、「行った」という文字列だけではどっちの読み方か分かりません

だから最近では、「行った」という風に、わざと「な」を足して表現する場合もあります。(これは国語的には間違い)

僕は最初、Winの自動変換で「行なった」が表示されたのを見て、納得しました。
確かに「行なった」で統一した方がいいとすら思えました。

しかし更に深く調べ、やっぱり「行った」のままで良いと自己解決しました。

というのも、「いった」か「おこなった」かは、その前の文脈を見れば理解できるからです。

「~行った」
「~行った」

まぁ小学校で習いますね。

普通に何かを音読する際、次の単語が段落落ちしているせいで、漢字の音読みと訓読みを一瞬間違えることがあると思います。

でも、よく思い出してください。
人によると思いますが「行った」に関しては、意外とスラスラと読み上げられるのではないしょうか。

 

これは本当に素晴らしい作りで、「行った」の直前が「を」なのか「へ」なのかという、たったそれだけの事実で読み方を自然に切り替えられるのです。

これはもはや「ニュアンス」では無く確定的な部分ですが、「だからよー」はこの手の事前条件が一切無いため、よりややこしさが増しています。

むしろ「だからよー」は、初見殺しとしては完璧な罠です。
奇跡とすら思えます。

「え?ごめん、それどういう意味?」ってならない厄介さ

方言とはたいてい「それどういう意味?」となるものです。

他の地域の人が聞いて、知らない単語だから「どういう意味?」と聞き返されます。
そもそも方言否定派の僕はこの時点で気に食わないのですが、それでもこれは健全な状態だと分かります。

対して「だからよー」は、「だから」という全国共通の接続詞の存在があり、更に接続詞としての「だから」を言い出してもおかしくないタイミングで発せられるために、「どういう意味?」となりません

その為、結構な誤解を生む可能性もあります。

あああああああああああああああああああああああああああ。
(小さく発狂)

方言の「だからよー」の厄介さを力説:まとめ

生で聞いたらきっと相当可愛いんだろうな・・・。
とは思います。

でもそれ以上に淘汰されない理由を知りたい。

コミュニケーションエラーが何度も発生してる時点で良くないんです。
学校で「だから」を習った時点で「あ、これはややこしくなるな」と悟った生徒が一人もいないのでしょうか。

 

同じミスを何度か繰り返した時点で、「根本を直そう」と考えたりしないのでしょうか。

鹿児島方面の人たちがそんな「しょっちゅうこぼすけど、それでも毎回テーブルの淵に水の入ったコップを置き続ける人たちばかり」なはずがありません。

あ、ちなみに「なおす」という福岡の方言があります。
標準語で言う「しまう」を福岡人は「なおす」と言います。

これは長らく方言だと気付きませんでした。

でもこれはまだ理解できませんか?
「治す(治療)」「直す(修理)」と続くから、
「なおす(物をしまう)」という意味でも全然意味が通る気がします。

それともただ単に僕が福岡人だからそう思い込んでるだけでしょうか。

僕は熊本寄りの福岡弁が浸透した地域出身なんですが、こちらの方言は結構下品なのであんまり好きじゃありません。
だから方言愛は無く客観的な考えだと思うのですが、「福岡人に”これなおして”って言われる度に、”どこが壊れてるのか”と考える」という茨城人の話を聞き、確かになー・・・と納得したのを思い出しました。



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