こんにちは。
犬と曇りが好きです。
どちらかと言うと犬の方が好きです。
最近はウォーキングデッドも好きです。
でも犬の方が好きです。
天気の中では晴れが一番嫌いです。※気分による
僕は犬が好きですが、犬について特別詳しいわけではありません。
ただ犬が好きなだけです。
だから当記事の中で、犬に関する豆知識とか、そういうものを紹介したりとかは無いです。
ただ犬が好きなだけです。
当記事を読み終えた後にはきっと何も残りませんが、
・こいつは犬が好きなんだな
・この人はキチ〇イなのかな。
・投稿日時は朝の5時だし、投稿者はちょっとトラウマ抱えてるんだろうな
辺りの感想が、もしかしたら残るかもしれません。
その読後感は、ある意味爽快感すら感じられることを保証します。
「犬 好き」
「犬死に」
「犬 バームクーヘン」
などのワードで検索される方におすすめです。
犬が好き
改めて、僕は犬が好きです。
好きすぎて犬で死にたいです。
「犬死に」という言葉がありますが、それです。
いや、そういうことでは無いのですが、犬が好き過ぎて、「犬」という字を見るだけでニンマリしてしまいます。
「犬死に」という単語にも、犬という字が含まれているのでニンマリします。
犬死にとは?
[名](スル)何の役にも立たない死に方をすること。徒死。むだじに。「志半ばで斃 (たお) れた彼を犬死にさせるな」
「犬死に」とは「無駄死に」のことです。
つまり犬が死ぬのは無駄なことのようです。
ふざけるなと言いたいです。
こういうことについて厚切りジェイソンにツッコんで欲しいです。
改めて犬が好き
犬死にというのは悪口になると思いますが、「犬」と付く以上僕は犬死にしたいです。
というかさっきも言った通り、犬で死にたいです。
犬に襲われて死ぬならそれが本望です。
でも巨大な犬にかみ殺されるのは嫌です。
怖いです。
こういう人たちに殺されるのは嫌です。
怖いです。
こういう犬よりかはまだ晴れの方が好きです。
それくらい怖いです。
でも僕は犬で死にたいです。
犬に埋もれながら窒息死したいと思ってます。
死に方を選べるならそれが理想です。
これぞ犬死にだと思います。
しかし問題があります。
犬が可哀そう
犬って、たぶん、あると思うんです。人生が。
犬の人生だから犬生になると思うんですが、犬から見たらどうなんでしょうか。
「自分のせいで一人の人間を窒息死させてしまった」
という感じで、一生のトラウマになったりしないでしょうか。
たぶんなります。犬生がある以上たぶんトラウマになります。
だから、犬のことを考えると、犬死には非人道的(もしくは非犬道的)で非道徳的な行為だと思います。
それに、覚悟を決めて犬の中に飛び込んでも、いざとなったら苦しくなって犬をぶっ飛ばしてしまうかもしれません。
そんなことをしたら僕の方こそトラウマです。
犬も僕も、お互いにトラウマになるなんて、何もハッピーではありません。
だから、「犬死には犬が可哀そう」ということで、今後そういう人が出てきたら説得してあげます。
ですがデスノートがあったら別です。
もしデスノートが実在したら、自分の名前と「柴犬に囲まれて窒息死。しかし犬は今後も気にしない。」という死因を書けばたぶん大丈夫です。
「~しかし犬は今後も気にしない。」に対して効力があるかどうかが怪しいですが。
昔飼ってたラッキーという柴犬
子供の頃、ラッキーという賢い柴犬がいつの間にか家に居候してました。
どれくらい賢いかと言うと、小学校から帰ると、いつも気配を察して飛びついてくるので、試しにスパイみたいにこっそり帰って、物陰からゆ~っくり顔を出して様子を伺ってみると、「アイツ何やってんだ」という冷めた表情で見てくるくらい賢いです。
実際にこの「スパイ帰宅」を試した飼い主は多いと思います。
そんなラッキーですが、しっぽを常に巻いてるタイプの犬でした。
いろんなタイプのしっぽがあると思います。
散歩中は常に嬉しそうにしっぽを上に上げて左右に振る犬や、だらーんと下げたまま左右に振る犬などをよく見かけます。
ラッキーは、喜怒哀楽の「喜」が強すぎるせいか、しっぽを上げる力が強力過ぎて、バームクーヘンみたいに一回転してました。
いつも一回転してました。
いつもバームクーヘンを作ってたせいか、7歳という若さで天国へ旅立ちました。
きっと生命エネルギーのほとんどをバームクーヘンに費やしてたんだと思います。
たまにしっぽを無理やり引っ張って伸ばしても、手を離すとすぐ
クルン
とバームクーヘンに戻ります。
あの執念には、子供ながらに驚かされました。
そしてあの時のラッキーは少し不服そうでした。
犬が好き -まとめ-
犬が好きです。
犬になりたいくらい好きですが、犬を飼いたいとは思いません。
やはり犬は自分より先に死んでしまうので、極力飼いたくありません。
しかし、将来的には飼います。
60歳くらいになったら、20年くらい生きる犬を飼おうかなと思ってます。
もしくは、70歳くらいになった時に、10年くらい生きる犬を飼おうかなと思ってます。
どのみち80で死ぬ計算ですね。
さすがに自分が老人になってたら、犬が死んでもそこまで悲しくない気がします。
子供の頃、ラッキーが死んで悲しかったのは、やっぱり「自分が子供だったから」というのもあったと思います。
子供ながらに「これからラッキーがいない状態で何十年も過ごさないといけない」という重さがありました。
しかし老人になって、自分がもうすぐ死ぬかもという状況なら、仮に犬の方が先に旅だっても「まぁ俺もすぐそっち行くわ」ってなると思いますが、どうなんでしょうか。
最後に嘘を言って終わりにします。
柴犬の柴は、ヒンドゥー教の神「シヴァ(शिव, Śiva)」から来てます。
だから正しくは「シヴァ犬」です。
本当のまとめ
犬に対する情熱は本物ですが、当記事の本当の目的は「犬」に関する検索ワードでどれくらいのアクセスが見込めるかの実験でもあります。
ハッキリ言ってなんにも中身が無い記事であるためSEO的な効果はほぼ望めませんが、逆に「犬」というビッグワードでGoogle検索結果上位表示を獲得できたらどうしましょうか。(相談)