こんにちは。
協調性の欠片も無いぱっかんです。
さて、自分で言うのもなんですが、僕は結構な変人です。
「皆と一緒が良い!」なんてこれっぽっちも思いません。
でも学生時代は「皆と一緒」じゃないと不安で押しつぶされそうでした。
一体なぜ「皆と一緒」がいいのか?
また、僕はどうやって性格が変わったのか?
本日はその辺りについてお話します。
今の僕は、皆と違うことに誇りを持っている
今の僕は、自分だけが場違いな恰好をしていても全く気にしません。
ノーダメージです。
また僕は似たようなデザインの服ばかりを着るので、知り合いから「同じ服ばっかり着てるって思われるよ」と謎の忠告を受ける場合があります。
でも「自分が着たい服を着ることの方が重要」だと考えているので、特にハズさは感じません。
他にも「初めての場所」に行く時や「初めての体験」をする時も特に緊張はありません。
昔じゃ考えられないメンタルです。
しかし昔は、「一人だけ違う」という状況に、激しい恐怖を感じていました。
「自分だけが違うことをしている」という恐怖
僕の母親や姉は「変わったこと」について過剰でした。
家族でご飯を食べに行って、僕がスタッフに「このハンバーグにポテトは付いてますか?」と質問しただけで「恥ずかしいから辞めなさい」と叱られました。
そんな親近者の影響か、僕も激しい恥ずかしがり屋に育ちました。
特に学校では「みんなと同じ」を徹底していました。
例えば中学の頃、体育祭の朝練の為に、ほぼ全員が体操服で登校する時期がありました。
しかし僕は「明日は朝練をするので、皆さん体操着を来て学校に来るように。」という指示が無かったという理由で、特に何も考えず、いつもの制服で登校しました。
僕は登校しながら「自分以外全員体操着」という光景を目の当たりにし、激しい恐怖を感じました。
(いや、ウチのクラスだけは全員制服かもしれない)
なんて訳の分からないことを考え、そしてクラスメイトとすれ違い、彼もまた体操着を着ていたので、いよいよこのまま家に帰ってしまおうかというくらいの絶望を覚えました。
別に、「体操服で登校しなさい」と決められたわけでも無いのに、1人だけ違うことをしてる自分が、とても劣ってるような気がしました。
なんでこんなに「自分だけが違う」という状況を怖がるのでしょうか。
その答えは「知識が無いから」です。
「自信が無い分野」に限り、「皆と一緒」じゃないと恥ずかしくなる
基本的に「学校」は初めての連続です。
初めての体育祭。
初めての朝練。
だから「どう行動すればいいか分からない」という不安が常にあります。
その結果「皆と同じことをしていればいい」という判断基準が生まれ、同級生と同じことをし続けるのです。
ですが知識や知恵がつけば別。
自分で物事を決定できる人は、他人に依存せずに自分の人生をコントロールできます。
「自信がある分野」では他人と違っても怖くない
極端な話ですが、元プロ野球選手が知り合いの草野球チームに誘われたら、それが初参加だとしても自信満々にプレイできるはずです。
必要なものも全て自分で用意するでしょう。
しかし何も知らない野球素人が参加することになったら、当日の行動基準は周りの人を参考にするし、準備物も周りの人に聞いてから用意するでしょう。
つまり「皆と一緒」でいようとするのです。
車の免許を取得してしばらくは、運転しながら「車社会にちゃんと馴染めてるかな?」と不安になりましたね。
指摘してくれる人がいないだけで、本当は凄い間違いを犯しながら運転を続けてる気さえしていました。
また、僕はたまにビジネスセミナーに行きますが、最初の一回はえらい恥ずかしかったのを覚えています。
(きっとみんなセミナー上級者で、僕のような新参者は受け入れられないかもしれない・・・)
などと考え、当日のみんなの動きをチェックし、真似していました。
しかし今では「ビジネスセミナーにはいろんな人が参加する」と知っているので、「皆と同じ」じゃなくても自信を持って参加できます。
もし明らかに場違いなことをしたとしても、「あ。すみません。知らなかったので。」と平謝りしてやり過ごせばいいだけ。
未だに「みんなと違うのが怖い」と思う人は、もっとハキハキしていい
先ほど書いたように、知識を付けると「皆と一緒」の呪縛から解放されます。
しかし何かを始める場合、最初は誰だって初心者です。
僕も初めて「キックボクシングジム」に行った日は僅かに緊張しました。
ですがこの世は「玄人ばかりの世界じゃない」と知っているので、初心者の自分に恥ずかしさは感じませんでした。
今の日本人は、僕たちが思ってる以上に柔軟です。
何かを始めようとしたら、大抵の人は受け入れてくれます。
自意識過剰では何も楽しめない
人は病的なまでにヒトの事を気にしますが、「変人だと思われたくない」と考え続けていたら、永遠に幸せになれないと悟りました。
もしかしたら明日、偶然あなたに会った僕が、あなたを見て(凄い変な服来てるなぁ)と思うかもしれません。
言ってるわけではありません、思うだけです。
しかし僕の顔色を見て、あなたは(もしかして変な服着てるって思われた?)と疑問に思います。
そして今まで自信満々で来てたその服について、急に疑問を感じるようになります。
きっと、大多数の凡人が上記のような脆いメンタルだと思います。
しかしもし、僕が出会ったのがファッションデザイナーだったなら、「今“変な服”って思われた!まぁ、分からない人には伝わらないだろうね!」と前向きに捉えることでしょう。
だってそのファッションの裏に、知識や自信が溢れているのですから。
「皆と一緒」を好むのは、その分野において知識が無いだけだ:まとめ
・「自分だけが違うことをしている」を恐れるのは、その分野について自信が無いだけじゃなく、それを悟られたくないから。
・誰だって最初は初心者だし、世の中は知らないことで溢れているので、もし間違いを犯しても「知らなかったんで。」で済む。周囲の人々を無理に指標にしなくていい。
僕は幼少期や学生時代に戻りたいなんてこれっぽっちも思いませんが、その要因の99%が「自分で決めれるようになったから」です。
知恵を付けるのが遅かった僕は、17くらいまでは人の真似ばかりしてきました。
しかし今では全て自分で決めてやってます。
皆さんも当然のように実践してると思いますが、人生を謳歌するとはたぶんこのことですね。
我ながら最高な人生です。