僕は、自分も一人の
この考えを意識しだしたのはつい最近のことだが、改めて考えると僕は小さい頃から、
と考えることがあった。
ちょっと分かりづらいかと思うので後程解説するが、とりあえず僕は小さい頃から頭が狂っていたらしい。
小さい頃から「何もないところ」を意識するのが好きだった
僕は田舎生まれで、周りに特に何もなく、同世代の友達もあまりいない環境で育った。
それで庭や家の中を良く歩き回っていたのだが、その時に、
それは一見すると本当につまらないもので、
例えば
とかそういうものだ。
なんかそういう
もしくは
を考えて不思議な気分になるのが、僕は凄い好きだ。
過去形じゃないのは、今なおこういう意味不明なことをするからだ。
例えば今僕はワンルームで一人暮らしをしている。
そしてこの部屋にはベッドがある。
レイアウト上、ベッドと壁の間には人一人分がはまり込むことが出来るくらいのスペースがある。
僕は試しにこのスペースにわざとハマってみた。
「何やってるんだろう」
という考えと同時に、
という考えも頭に浮かんできた。
この”ベッドと壁の間のスペース”については、特に邪魔とも思わないし、かと言って活用したいとも思っていない。
つまり
更に言えばこれは
だから、この”一切意味のないスペース”に対して僕が手を出したことにより・・・
いや、何か新しいことが起きるわけでは無いのだが、
それでも何か
本当になんと言えばいいのか分からない・・・。
「木が倒れても…」という有名な哲学
僕が言いたい事は、
とか
という話がある。
まず前者だが、量子物理学の世界では、
なんだろう。
この話を聞くだけでさっきの
これを読んでる人にも試してほしい。
できれば夜の方がイメージしやすいのだが、まず、ほぼ人が通らない森を想像してほしい。
でもあなたはそこに1度以上訪れたことのある場所だ。
そしてそこは電気も無く真っ暗で、もちろんこんな時間には誰もいないことが予測される。
そしてそこで、「バキバキ…」と音を立てながら木が倒れる。
その「木が倒れる」というイベントに対して、誰も何も気付かないので世界に対して一切何の影響も無い。
けどそこで確かに一つのイベントが起きている。
たったこれだけのことを考えるだけで、何か変な感情が沸き起こってこないだろうか。
「観測者」になるつもりで街を歩くという趣味
街はたいてい自分にとって興味の無いもので溢れている。
今までボケ―っと歩いてた街でも、「今まで見てなかったところ」を意識してゆっくり歩くと、
意外と「こんなところに看板あったんだ」ということにも気付く。
もちろんその看板は時々視界に入っていたもので、初めて
でも意識して
さて、大それた記事を書こうとしたが、イマイチ盛り上がらなかったので終わろうと思う。
また何か思うことがあれば追記していきます。
※当記事のアイキャッチ画像は、ホームレスの人が用意したであろうセットで、当記事とはほぼ無関係です。