「月に40万円の収入が欲しいから、それに見合った一日をイメージしよう」みたいに、ちょっと無理してはいないか?
だから「理想の一日」について無理にイメージせず、今までの人生でたまにあった「目が覚めた時、とても良い気分だった」という感覚を、出来る限り多く味わう方法を模索した方が、人生は豊かになるのでは無いだろうか。
朝目が覚めて窓の外を眺めると、たまに「ワクワク」を超越したような、不思議な気持ちになる事がある。
それはとても前向きで、「どこかを冒険したい」と思えるような、なんとも形容しがたい気持ち。
最近気付いたのだが、これを毎日味わうことが僕にとっての最高の人生なのかもしれない。
今回の記事は、
・自分の好きな仕事が分からない
・何をすべきか分からない
という「人生に迷っている人」に捧げる。
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朝起きた時、気分は良いですか?
まず体調が良くて、何かストレスになるもの、またはプレッシャーを感じるものが特に何もない。
そしてカーテンを開け、窓の外を見て、晴れか曇りか雨か分からないけど、どの天気だろうと「素晴らしい朝だな」と思える。
これを読んでるあなたに伝わる自信が無いけれど、僕はこの感覚がとても好きだ。
でも今の僕は、毎朝この感覚を味わっているわけではない。
例えば(週のほとんどを占める)仕事の日は、出勤の準備とかで頭のリソースが埋まるし、「仕事」というそれなりのプレッシャーやストレスを感じている。
だから「素晴らしい朝」を感じづらい。
でも休みの日とか転職期間中は、この言いようの無い前向きな気持ちが内側から溢れ出るのを感じる。
そしてその日は間違いなく素晴らしい一日になる。
子供の頃からたまに溢れ出る「冒険心」
たまに、「どこかを冒険したいな」という気持ちになる事がある。
子供の頃は特にそうだった。
僕は曇りが好きなのだが、授業中に窓の外を眺めて、そこに自分好みの素晴らしい曇り空があったら、「冒険したい」という気持ちになった。
特に「〇〇へ行きたい!」というような具体性は無いけど、とにかく居ても立ってもいられないような不思議な気持ち。
これが大好きだった。
そして大人になった今、朝起きて、窓の外を眺めた時に感じる「素晴らしい朝だな」という気持ちが、子供の頃に感じていた「冒険心」と酷似している事に気付いた。
この「冒険心」の具体的なイメージは、
・どこか分からないけど、涼しい芝生まみれの丘へ行きたい
・それが誰か分からないけど、素晴らしい人と一緒にいたい
みたいな感じ。
いよいよスピリチュアル色が強くなって、より一層読者に伝わりにくくなった気がするが、このまま続ける。
この「素晴らしい朝」「冒険心」を感じ続ける人生でありたい
僕は主に仕事において割と悩むことが多い。
転職回数は少なくないし、どんなに憧れの仕事に就いても「嫌な部分」が嫌になって転職したりもした。
これはたぶん僕が「考え過ぎるアホ」だからそうなるんだろうけど、未だに「何が最高の人生か」は良く分かっていない。
ただ、一つの指標を見つけた。
それが「朝起きた時に冒険心を感じるかどうか」だ。
たまに感じるあの「素晴らしい朝」を、出来る限り多く感じ続けたい。
今の僕は、それを一つの正解として捉えている。
あなたは今「素晴らしい朝」を感じているか?
ここで一つ具体的な提案をしたい。
良く「朝を制するものは一日を制す」とか「朝を気分良く過ごせば、一日中良い気分で過ごせる」みたいな話を聞く。
特に僕は一時期「引き寄せ系の本」を読み漁っていたこともあり、この辺りの言葉はかなり目にしてきた。
一旦話を変えるが、これを読んでいるあなたはきっと、人生に迷っていると思う。
そんな人に対して「朝を素晴らしい気分で過ごそう」等とは言いたくはない。
もちろん能動的に「今日も良い一日になる」と言い聞かせることで人生をコントロール出来るだろうが、僕が提案したいのはそれではない。
あなたは自然と「素晴らしい朝」を感じているか?
受け身な状態で「素晴らしい朝」「冒険心」を感じるのが正解
自分の発言や気の持ちようで「素晴らしい朝」を作り上げることも出来る。
「引き寄せ」関連の書籍では「そうしなさい」と書いてある事も多い。
しかし人生に迷っている場合、「このままで良いのか」という思いが募り、「最高の朝」を具現化し辛かったりする。
だからここで一旦「最高の朝“作り”」を辞めてみて欲しい。(そもそも読者の皆様がこれを実践してるのか分からないが)
「今日も暖かい安全な部屋の中で、柔らかいベッドの上で眠れた。最高の朝だ」と能動的に言い聞かせるのではなく、「あ。なんか凄く良い朝だな」と自然と思えるような生活。
もし自然と「なんか良い朝だな」と思えるようになる為には、自分はどんな仕事に就いている必要があるか?
このように、「素晴らしい朝/冒険したくなるような気持ち」になる為の要素を「逆説的」に考えてみる。
それが「迷いの解消」に繋がるのではなかろうか。
結局「人生(仕事)に迷ってる人」はどうすれば良いのか
そしてそれが実現可能な「仕事」を探す。
ここで一つ真面目な話をする。
ほとんどの人が「天職に就きたい」と考えながら理想の仕事に就けていない。
これは「適合派」と呼ばれる人に多いのだが、仮にその人が「好きな仕事」に就けたとしても、結局嫌な部分が目に付いて辞めてしまう。
対して、「好き嫌いはどうでも良くて、何かしら仕事に就けたらとりあえず頑張る」という「成長派」の方が幸福度は高いらしい。
・適合派:「自分にピッタリの仕事がどこかにあるはずだ!」と思っているタイプ。「給料が安くても満足ができる仕事をしたい」と考えるため、転職率が高い。
・成長派:「どんな仕事でも続ければ好きになれるはずだ!」と思っているタイプ。「仕事は楽しくなくてもいいけど給料は欲しい」と考えるため、転職率は低い。
「適合派は自分の好きな職を探すのはうまい。しかし、実際にはどんな仕事にも好きになれない面が強いため、最終的には現実的なラインを探して妥協することになる」
「好きな仕事に就けたけど、結局“嫌な部分”が嫌になって辞めてしまった」という話は本当に良くある。
長くなってしまったが、もう「好きな事」とかを考え出すとキリが無いので、一旦「こんな風に目を覚ませたら気持ち良いだろうな」という気持ちのみにフォーカスし、出来る限りその「朝」を味わい続ける為に必要なものを考えてみて欲しい。
人生(仕事)に迷ったら、「冒険心」と「素晴らしい朝」を思い出して欲しい:まとめ
「月に40万円の収入が欲しいから、それに見合った一日をイメージしよう」みたいに、ちょっと無理してはいないか?
だから「理想の一日」について無理にイメージせず、今までの人生でたまにあった「目が覚めた時、とても良い気分だった」という感覚を、出来る限り多く味わう方法を模索した方が、人生は豊かになるのでは無いだろうか。
まず「素晴らしい朝」と「冒険心」について共感してもらえなければ意味不明な記事だったと思うが、人生に迷っている人は、一度この感覚を基に働き方や生き方について考えてみて欲しい。