「あの人は人に好かれる星の元に生まれた」
「僕は不幸になる星の元に生まれたんだ・・・」
というような、「星の元に生まれた」という文章が大嫌いです。
こんな些細なことに文句を言っても仕方がないのですが、それでも書きます。
また、せっかくなので「何故嫌いなのか?」と「星の元~の語源」について軽く調べてみました。
「星の元に生まれた」が嫌いな理由
まず意味を再確認します。
よい運勢をもって生まれる。よい月日のもとに生まれる。
元々は「“良い”星」限定の文章だったのかもしれませんが、良く見かけるのは自虐的な使い方だと思います。
例えば、
「私は何をやっても上手くいかない。きっとそういう星の元に生まれたんだ」というような感じ。
反対に、他者への羨みを表現する場合に「あの人は良い星の元に生まれた」と言ったりしますね。
・・・。
早速「僕がこの言葉を嫌う理由」について話しますが、なんか「自分の非をコントロールしなくて済む為の言い訳」にしか聞こえないんです。
「生まれる前から決まってることだから、自分じゃどうしようもできないでしょ?」
努力や工夫をせずに済むよう、そう言い聞かせてるようにしか聞こえない。
付け加えるならば、これもまた使い古された言葉ですが、「凡人は、天才がどれだけ努力してるか知らない」の通りで、凡人は他者のバックボーンを知らず、だから自分も努力せず、工夫せず、そして言い訳を垂れ流すんだと思ってます。
そういうぱっかんはどうなのか?という話ですが、正直僕も努力はしてません。
かなり適当に、楽に、大成を目指さずに生きています。(それはそれで問題だが)
僕は他人に興味が無いので、誰かを応援もしないし憧れも特にありません。
強いて言えば、僕は今現在フリーランスとして働いていますが、自分と同じ仕事量なのに3倍の報酬をもらってる人とかがいたら、強く憧れます。
でもきっとその人は「人脈作り」みたいな「見えない努力」をしてるだろうし、簡単に「目指そう」とは思えません。
「星の元に生まれた」の語源
「〜の星の下」は占星術と関わりのある慣用句です。
太陽や月、星々などの運航配置と、人間社会の間には密接な関係があるという考え方は、古代から存在しました。こうした研究の末に、世界中のありとあらゆる文明社会では「暦(こよみ)」が作られているわけです。日本でも古代から暦が存在して、これを作っていたのが宮廷の中にいた陰陽師たちです。
引用元がYahoo知恵袋でごめんなさい。
でも信憑性を感じたので使いました。
「星の元に生まれた」の由来は、(もしかしたら)「占星術」から来てるっぽいです。
となると、「そういう星に生まれた」という事情は、あながち間違いじゃない気もします。
それでも僕はこの言葉が嫌いです。
占星術というか、「占い」についてそもそも懐疑的なのもそうですが、文章から「諦め」が垣間見えるのが何か嫌だ。
一つ質問ですが、今まで「俺はそういう星の元に生まれたけど、でもあきらめずに〇〇してやるぜ!」みたいな事を言ってる人に会ったことはありますか?
たぶん「あきらめずに〇〇してやる」という心持ちの人は、「星の元」という言葉を使わないと思います。
結論を言うと、“「~な星の元」というセリフを使う人は総じて工夫する気が無いので、ちょっと嫌い”という事です。
強いて言えば、占いもちょっと嫌い
「占星術」の話題が出たのでちょっと余談がてら話します。
僕は、占いを信じたり信じなかったりします。
まず占いはちょっと好きです。
他人に「あなたはあーなる、こーなる」と言われるのは、根拠の有無に関わらず「第三者からのアドバイス」として凄く楽しい。
ただ人は「人に言われるとその通りの性格になる」という部分もあるので、占いはその手のトリックでしか無いような気もしています。
例えば、
↓
「あなたは人付き合いが苦手だと思っているようですが、本質的には人間が好きなようですね。だから大丈夫ですよ。」
↓
「言われてみれば接客業の時楽しかった気がします!ありがとうございます!」
という流れで性格そのものが変わるケース。
人は年齢に関わらずたくさんの事で迷います。
そんな時に、全く別の立場の人からもらうアドバイスは、根拠の有無に限らず多少なりとも心が救われるのかもしれません。
おしまい。
ちなみに「血液型診断(占いじゃない)」は信じてます。
理由は、「実際に今まで会ってきた人の性格の傾向と血液型に偏りがあった」という事と、「性格も血液型も遺伝する」の2つ。
性格は遺伝します。(ひろゆきの切り抜きで見た程度の知識です…)
血液型も遺伝します。
人類の祖先の一人が「A型で几帳面だった」んなら、それが遺伝して広まっていった可能性は無くはない気がします。
「A型だから几帳面」なのではなく、元々の祖先が「A形で几帳面だっただけ」みたいな感じです。