「何をしながら生きるのが最適か?」
「何のために生まれてきたのか?」
この問いについて今日はまとめてみる。
「何をしながら生きるのか?」という仕事面のこと
まず僕のことを簡単に話すが、僕は「ストレングスファインダー」という資質診断テストにて、以下の資質が優れていることが判明した。
特に「着想」「最上志向」「内省」の3つの強みは、ブログにおいて大いに役立っているので、当ブログでも何度も紹介してきた。
しかし今回、「生きる意味」という哲学的なことに対しては、僕の「運命思考」という資質が使われていると思える。
運命思考とは、「物事は全て繋がっており、その繋がりには意味がある」と考えることに喜びを感じる資質だ。
それこそ宗教家等の職業にふさわしい資質。
そして僕は時折「人には何か成すべきことがあって、それ以外のことはやらなくてもいい」と考える。
そして最終的にそれは「自分にとって完璧な仕事が必ずある」という答えに辿り着いた。
自分にとって完璧な仕事に出会ったら、その時に人生が急激に変わると思ってた
業務上の嫌なことなんて一つもなく、それをやりながら「僕はこれをやる為に生きている」と思えるような、そんな仕事。
きっといつかそういう仕事に出会うと、本気で信じて生きてきた。
例えば、成功者や実業家の人が「これをやっている間は空腹なのも忘れてしまう」と言うように、自分にもそういう運命的な何かがあって、それと出会った瞬間体中に電撃が走り、「自分がやりたい事ってこれだったんだ!」と人生が急激に変わるような何か。
30歳か、40歳か分からないが、そういうのがきっとあると、本気で思っていた。
そして今思うと、これは「運命思考」だからこそ辿り着いた答えだったかもしれない。
色々考えると「生きる意味とは」という問いに逆戻りする
でもたぶん、仕事ってそういう事じゃない。
僕は本当に甘えていた。
「生きる意味」というのは、誰しもが一度はググったりして、そしてヒットしたYahoo知恵袋等を閲覧し、「結局曖昧なことしか書かれてないな」という程度の結末を迎えることがほとんどだと思う。
しかし僕は「生きる意味」については既に答えを見つけている。
「7つの習慣」という本でそれを学んだ。
”生きる意味とは、自分から人生に問いかけるものではなく、人生から己に問いかけられているものだ”
子供が大人に何か簡単な質問をするかのように、僕たちは「生きる意味って何?」と誰かに問いただす。
しかしそれは誰も答えられない。
いや、人によって答えは出るけど、IQテストや脳トレの答えのようにスッキリするものではなく、「なるほどぉ・・・」というリアクションを取りたくなるような、半端なものだ。
だから結局僕も、既に答えを知っているにも関わらず、半年に一回くらいは「生きる意味」について調べてしまう。
ここまで来ると明らかだ。
「生きる意味」は(用意されて)無い。
なぜならそれは、(僕は既に知っているはずだが)自分で見つけていくものだからだ。
IQテストのように答えが用意されていないので、それを見つけた時に快感に浸るような現象もきっと無い。
「生きる意味は無い」というのは、仕事面にも置き換えられる
仕事の話に戻るが、「生きる意味」の話を、なぜ今まで仕事に置き換えなかったのか、自分でも不思議に思う。
「生きる意味とは自分が自分に問いかけられているもの」と知っていながら、「仕事はいつかきっとハマれるものに出会う」と運命に頼っていた。
どう考えても「自分に合う仕事」こそ「人生に問われているもの」だ。
ありきたりな心理テストや、職業診断テスト等で答えを導きだすのではなく、自ら働きかけるのものだと悟った。
考え方によっては、職業診断テストを使用することも”自ら働きかけている”事になると思うが。
まとめ
ある日突然「これだ!」と全身に電流が走るような刺激に襲われ、今後の人生は全てそれにのめり込むような、そんな出会いを期待して生きている人はきっと多いと思う。
色々書いたが、未だに僕は「運命的な出会い」を信じたがる傾向にある。
そしてそれは、「運命思考」という資質から来ていることも承知している。
ハッキリ言うと、「だからなんだ」という話だ。
今、このブログのオチをどうしようか迷っている。
何も解決できていないのに、どうやってまとめるべきか。
とりあえず、当ブログと関連の強い記事を貼っておくので、興味のある方は参照されたし。
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